ぼこう
懐かしい所に友だちと、行ってきた。息子くんも連れて。
通学路を歩くと、馴染みの制服を着ている女の子たちがたくさん。
校舎内にはいると、綺麗なレンガの階段や石畳に圧倒された。
当たり前のように6年間をここで過ごしていたけれど。当然のこととして享受していた、もの、こと、空気の大きさを知った。
わたしが着ていた制服を着ている女の子たちは、とても、子どもだった。
若くて、子どもだった。
わたしが制服を着ていたころ、わたしは自分のことを子どもなんて全く思いつきもしなかったのに。
ただ、ひたすらに14歳であったり、16歳であったり、18歳であったりした。
数多く読んだ本の中で、12歳から18歳が、とてもキラキラと輝いていて、一生懸命で、二度と来ることがない素晴らしいものなのだと人よりも、認識しているつもりだった。
それは間違いじゃないと思う。
一番、人生の中で記憶として頭と心にこびりついている期間だと、思う。
でもね、こんなに、12歳~18歳が「こども」で、保護対象で、若々しいのは、知らなかった。
あれだね、多分、本でそのくらいの年齢の主人公の物語を読んでいても、わたしはそのキャラクターに感情移入して、まるで自分がそのくらいの年齢であるかのように疑似錯覚してしまう。
それをずっと、20代半ばになっても続けていたから。
初めて、全くの年上、大人として、はつらつとした12歳から18歳の彼女たちに、出会ったのだと思う。
大人のふりをして、大人のつもりでしゃべる、だけど、可能性に満ち溢れて、屈託なく笑う、子どもだった。
同じ制服を着ていたけれど、わたしもまだ着れるけれど、もう、袖を通してはいけないんだな、と思った。そういうキラキラの特権は、もう、持ってないもの。
生徒の頃は通ることが出来なかった廊下を通った。
カフェテリアの外のテラスが見下ろせた。
小講堂にはよくわからない銅像が増えていた。
でも、小講堂は、再試の場所でしかなくて、銅像なんて、ちょっとへん。
先生と育児の話なんてしてしまった。
わたしの書く文章が好きだったと言ってくれた先生がいた。
まだ、わたしの文章なんて覚えていたんだと、涙がでるほどうれしかった。
いもずる式に、その先生の思い出が出て来る。
中三の頃の担任で、新しいクラスで、誰とも仲の良い子と一緒ではなくて。
離れ離れになってしまった。
家で大泣き。
大泣きするわたしを心配するあまり、母がその先生へ電話(笑)
先生からわたしへ電話が。
顔もわからない女の子たちの名前をいくつか教えてくれて、新しいクラスで一緒のはずのその子たちと、わたしの雰囲気がどことなく似ているから、きっと仲良くできるから、と、なぞの励ましの言葉をもらう笑
当時は、誰だよそんなやつしらねーよ、そんなこと言われても仲の良い子と離れたことは変わらないんだようわーんっ涙、という感じだったけれど、今考えれば、それが先生にできる精一杯のことだったんだよね。
ほんとにありがとう。
話し戻すと……。
もう、わたしはここの生徒じゃない。
当たり前だけれど、改めてはっきりと、「前を向かなきゃ」と思えた。
当時、ここに通っていた頃のわたしのように、与えられた場所で、今いる場所で、今自分ができる最大限の努力やできることを、していかなければならない。
昔の思い出ばかり振り返ったり、昔と今を比べたり、そんなことをしている時間があるならば、今の立っている場所を確認して、理想の未来を目を細めてしっかりと見定めて、手あたり次第、自分にできることをしていくしかないんだ、と。
誰にも背中を押されたわけではないけれど、とんと、背中を押された気がした。
背中を押されることと、出ていくことは似ているね。
追い出されたけれど、優しく強く、見守ってくれる暖かさをもった手のひらで、背中をたたいてくれた気がした。