つらつら、つら

ぼーっとしてると言われるのでそのぼーっとを文字にしてみようと。たぶんそんな内容。

『リンゴ園の夜の花火』 短編

毎日、毎日、空が高い。

 白い雲が一切れも見当たらない。見上げると、ただひたすらに終わりが見えない、とんでもなく高く広い、青空と、真っ白にぎらぎら光る太陽だけ。

 空がこんなに高くて、広くて、青いってことを、あたしはこっちのおばあちゃんの家に来て初めて知った。あたしが住んでいる街じゃ、空と言えばビルの隙間から見える青い切れっぱしだったり、連なっている巨大な団地の後ろにある空間を埋める、ただの背景だった。ここは、青空とリンゴ園が主役の田舎町なのだ。

 わたしは縁側から落ちないように気をつけながら、横になった体を動かした。風は気持ちいいし真上から響く風鈴の音は耳に涼しいから、ここが大好きなのだけれど、どうしたってずっと同じ体勢だと体が痛くなってくる。ひんやりした畳の部屋の方へ体を向けると、ちゃぶ台の上に食べ終わったスイカの皮がある皿が目に入った。わたしは立ち上がって、皿を台所に運ぶ。ぺたりぺたりと裸足の足がひんやりした床を歩いていく。

 今、家には誰もいない。おじいちゃんもおばあちゃんも、自分のリンゴ園で摘果をしている。何もない日は手伝いに行くのだけれど、今日はガスの点検の人が来るから家にいてと頼まれていた。その人も帰った今、やたら時計の秒針の音が大きく聞こえる。

 こっちに来てからはだいぶましになったけれど、向こうにいるとき、あたしはこの音が、世界で一番、だいきらいな音だった。

 じわじわとゆっくり歩いてくる闇に、ひとりぼっちでマンションの部屋にいたあたしはとても可愛がられていた。秒針の音とともに確実に近寄ってくる気配に、ひとりだったあたしはどうしても立ち向かえなかったから、気に入られてしまっていた。リビングにある家具が暗く、黒くなっていくのと同じように、あたしも同じテンポで暗闇に溶け込むしかなかった。テレビの音と明るさは人工的でわざとらしくて苦手だった。ただじっと、誰かが迎えに来て、明るくしてくれるのを待っていた。暗いところからあたしを見つけて、生の声をかけてくれる。そればかり頭の中で想像してやり過ごした。

 特にきらいだったのが、夏のこの時間だ。

 冬なら早く日が沈むから、友達など、誰かと一緒にいるときに暗くなってくれるけれど、夏はそうはいかない。遊び終わった後、誰もいない家に帰ってきて、ひとりで暗くなるのに身をまかせないといけない。薄暗い夕闇は床からゆっくりと、あたしのそばへ這い登るのだ。

「美佐緒ー! いるかぁ?」

 ひんやりと暗い台所でぼうっとしていたから、突然の大貴の声に、心臓が思った以上に震えた。

「いるよ!! ちょっと待ってて」

 歩きながら、無駄に大きな音を立てた胸のあたりをトントンと叩いて紛らわす。

 しばらく、思い出していなかったのに。

 自分に負けた気がして、悔しい。原因を探ってみると、午前中にかかってきたお母さんからの久しぶりの電話が思い当たった。話の内容を思い出して、ぎゅっと唇をかむ。

「美佐緒ー」

「わかってるってば。今開ける」

 急いでつっかけをはいて玄関を開けた。とたんに、セミの大合唱がなだれ込んでくる。玄関を出たすぐ近くに大きな桜の木があって、そこに何十匹ものセミたちがとまっているのだ。

 大貴はここからすぐ近くに住む、あたしと同い年の男の子だ。小学校低学年の頃は、夏休みにここへ来るたびによく遊んだ仲だ。今年、高校一年になり、久しぶりにここへ遊びに来て大貴を見たときはびっくりした。少し低くなった声、ぐっと大きくなった手、あたしの背を余裕で超えている身長。だけど、人懐っこい笑顔は変わっていなかったおかげで、昔と同じようにすぐに仲良くなれた。

「急になに? どしたの?」

「急になに、じゃないだろ。ほらこれ」

 大貴が差し出したのは大きな紙袋だった。

「なにこれ」

「浴衣だよ」

「浴衣? なんで?」 

 ぽかんとしているあたしを、大貴は眉をよせて見つめた。

「お前、ほんと忘れっぽいのな。自分で言ったことも忘れたのかよ。この間、俺の姉ちゃんに会ったんだろ?」

 会ったっけ? 

 青空ばかりちらつく記憶をさかのぼる。ああ、そうだ。会った。この間リンゴ園に手伝いに行く途中で、バイトへ行く最中だった大貴の大学生の姉、美代ちゃんに確かに会った。一面青の下で、右手にはリンゴの森が広がっていたところで。

「うん、思い出した。会ったね」

「その時、姉ちゃんから祭りの話を聞いて、浴衣なんか持ってないって話、したんだろ。だから、ほら、浴衣。あと下駄も。俺の姉ちゃんが昔着てたヤツ。祭り当日になっちゃったけど、まだ間に合うだろ」

 ほい、と手渡された紙袋を覗くと確かに綺麗にしまわれた浴衣が入っていた。

「あ、そっか! お祭りって今日だったんだ」

「はあ? そこから?」

 本当にあきれた声を出した大貴をちょっとにらむ。

「だって、それどころじゃないことがさっきあったんだもん」

「それどころじゃないことって?」

「いや、ちょっとね。それより、お祭りって何時からだっけ?」

「あー、確か、屋台がでてくるのは四時くらいで、町内会が出し物始めるのは五時くらいだな。で、八時ぐらいに日高山から花火があがる」

「日高山から? めっちゃ近い山じゃん」

「ん、そう。だから花火の破片とかまじで降ってくる。たいていチリとか灰になってるけど、目に入るとかなり痛い」

「うわ、それは痛いわ」

 思わず笑うと、大貴もにやっと笑った。

「しかも打ち上げてるのが宮野んとこのよぼよぼのじいちゃんでさ。日高山登るのも毎年一苦労らしい」

 宮野というのは、大貴と同じ部活で、一番の友達らしい。大貴の口からはしょっちゅう宮野という男子の名前が出てくる。しかも宮野に関する話は大抵面白い。会ったことはないけれど、あたしの頭の中では笑える話つきの宮野の像ができあがっている。

「あはは、そうなの?」

「うん。だから、今年は宮野もじいちゃんについて行って、花火の打ち上げ手伝うんだってさ。ということだから、俺、一緒に回る人がいない。で、お前もいないだろ」

「いないねえ」

「だから、祭り、一緒に行こうぜ」

 心臓が口から飛び出るほど大きく鳴ってしまったのは、大貴の耳が、顔が、暑さのせいだけじゃなく赤く染まったのが分かったからだ。

 気づいたらセミの大合唱が止んでいた。茶の間から響いてきていた風鈴の冷たい音もしない。この夏の世界にいるもの全てが静かにじっと、こちらに注意を向けている。そんな気がして、あたしは慌てて声を出した。

「ご、ごめん、一緒に行きたいんだけど、実はさっきお母さんから電話があって、仕事、休みが取れたから、今日、こっちに来るって……」

 大貴の顔が曇った。一瞬うつむいて、それからまっすぐにあたしを見た。

 まだ、目の中に力が残っている。

「まじ? 何時?」

「えっと、わかんない。多分、仕事を早めに切り上げてくるんだと思う。早くて七時、遅くて九時ごろかな……」

「それ、美佐緒が家にいなきゃだめなの? ばあちゃんたちが家にいればいいんじゃないの?」

 力強く言われて、あたしは黙ってしまった。

「美佐緒がこっちに来るお母さんになるべく早く会いたいなら、祭りに行かないでここで待っていればいい」

 ……もしかして、怒った?

 突き放された言い方のような気がして、大貴の顔を見つめた。すると、あたしの表情を読んだ大貴は慌てて言葉を付け加えた。 

「あー、ごめん、言葉足りなかった。ほんとに、別に、どっちでもいいんだ。家で待ってたかったら待ってればいいと思うし。……たださ、どうせ泊まることになるんだろ?

「……うん、たぶん」

「だったら、明日会えるんだし、何時に来るか分からないのに、じっと家で待ってる必要なくない?」

 大貴の言葉に、耳がぴくっと動いた。大貴をじっと見つめる。

「じゃあ、俺、四時半くらいに公園で待ってるから。もし来る気なら、来いよ」

 大貴はそれだけ言って、まぶしい外へと出て行った。

 気づかないうちに溜め込んでいた息をはきだす。家の奥で、風鈴が一際高く鳴った。それが合図だったかのように、セミの大合唱もまた始まった。

 ぺたぺたもと来た廊下を戻っていく。茶の間の片隅に紙袋を置いて、畳の上にごろりと横になった。

「あああーどうしようっ」

 自分の手でぎゅっと目隠しした。脳裏に大貴の声、しぐさ、顔が浮かび上がってくる。 

恥ずかしいような、嬉しいような。とにかくいろんな感情がごっちゃになって胸がいっぱいで、どうすれば平静になれるのかわからない。体の中を駆け巡っている血液が、赤くて熱くて、チョコレートよりもずっと、甘いもののような感覚がする。とりあえず、じっとしていられなくて、ごろごろ畳みの上を転がった。イグサの匂いが鼻につく。

 大の字になったまま、壁に掛かっている振り子時計を見た。おばあちゃんたちが帰ってくるまで、あと少し。そしたら、浴衣を着せてもらって、髪の毛を少しアップして。全部準備が終わるのにどれくらいかかるんだろう。四時半には間に合うのだろうか。

 そこまで考えて、はたと自分がもう祭りに行くつもりなのに気がついた。

 むくりと体を起こす。それからわざと秒針の音に耳を澄ます。だけど風鈴の音や、セミの大合唱や、外で駆け回っている子どもたちの声で、ほとんど耳の中に響いてこない。何より、自分の心臓の甘い鼓動が邪魔をしている。

 “じっと家で待ってる必要なんかなくない?”

 さっきの大貴の言葉が、くるりくるりと、休む暇なく頭の中を回っている。

 革命的な言葉だと思った。どんな格言や名言より、あたしの頭に衝撃をもってがつんとぶつかってきた。

 どうしてまだあの人を、暗闇に浸りながらじっと待っていなきゃいけないなんて思ったんだろう。

 秒針の音が、耳の中で大きく響いてしまったんだろう。

 今はカチコチ鳴るたびに、どこかの野原で真っ白な愛らしいつぼみが花を咲かせているようにさえ感じる。

 こんなに胸を高鳴らせる、甘い音は、きっと世界中、どこを探してもないだろう。

 紙袋の中からそっと浴衣を取り出した。綺麗に折りたたまれた浴衣を丁寧に畳みの上に広げていく。ぱたん、と浴衣を広げるたびに押入れの匂いがちょっぴりした。大切に保管されていた証拠だ。浴衣には、藍色の生地に、真っ白なリンゴの花が描かれている。その合間を縫うように小さな桃色の蝶が羽をひらめかせて飛んでいる。ところどころにキラキラした銀色の蝶の奇跡が散っている。浴衣の下にあった桃色の鼻緒の下駄も、リンゴの花が描かれていた。

 一通り畳みの上に並べてから、あたしは縁側へ出て眩しい夏の青空を見上げた。 

 空がこんなに高くて青い。それを初めて教えてくれたのは、ここだった。

 他にも、たくさんのことを、ここへ来て初めて知った。

 夏なんて、ただ湿気が多くて日差しが焼けるほど強い季節としか、思ってなかった。それが、むわっと立ち込めている熱い空気の中に、実は生命力溢れる緑の濃い匂いが満ちていることも、夕立が降る前に乾いた土の匂いが立ち上ることも、夏の朝には山の川のような透明で澄んだ露が降るということも。

 そして多分、今日初めて、あたしは知ることになるはずだ。

 夕方、燃えるような茜色を過ぎたあと、藤色に染まり、藍色に変わる空の美しさを。浴衣の隙間から入り込む柔らかくひんやりとした風を。赤提灯が浮かび上がらせるとたくさんの人の笑顔と活気を。

 それから、誰かと二人で過ごす夏の夜に漂う空気は、きっとどんなときの空気よりも穏やかで、甘い匂いがするということを。

 目を閉じた。風鈴の音と一緒にどこかで甲高いひぐらしの鳴き声が響いている。夕方近くになると吹く、とびきり優しい風が肌を撫でていく。

 今晩、あたしはきっと、隠し上手な暗闇に、感謝することになるだろう。大貴のすぐ隣で並んで歩くとき、あたしはきっと、必要以上に赤く染まってしまうから。それはまるで瑞々しく熟れたリンゴの赤のように。

嫌われたかもしれない霧消した女の子へ

手紙を書きたいと思っている。
でも、実は躊躇していた。

すごく大切な子だった。
大好きな子だった。

だけど、たぶん、わたしが急に仕事を辞めて、結婚、妊娠、と怒涛の勢いでライフステージを変化させていったとき。

その子はたぶん、わたしと距離を置く事を選んだんだと思う。

妊娠中に、一度だけ会ったとき。
何度も何度も、会いたい、と伝えて、それでも忙しいと断られていて。

諦められずいつでもいいから、と言葉を残したら、ふいに、この日、会えるよ、と言ってくれた。

とても大事な日だったのに。
すごく楽しみにしていた。その会える日を。

だけど、会って、わたしは、彼女の戸惑いとかそういうのを何も察することができなく、ひたすら子供を産むという事は出産だけでなく妊娠中からもつらいということ、仕事はどう? 好きな人見つかりそう? とか、そんな話ばかりしてしまった、ような記憶がある。うすぼんやりと。

 

いわゆるマタニティハイだったのかもしれない。

 

ライフステージが変わって、彼女とわたしとじゃ、生きる場所、優先事項、大事にしているものが、同じものではなくなっていたのに。
それに気が付かず、自分の価値観を押し付ける話をしてしまった。

 

でも結果、今、メールの返信もなく、ラインも未読のまま。ブロックされてしまったのかもしれない。

 

何とかして連絡を取りたくて、共通の知り合いの男性に、最近その子が元気かどうか、何か知っているか話したら、そういうところが重いんだよ、そういうのが嫌がられてるんじゃないの? と一蹴された。

むかしから、その男性はもしかしたら私のことはあまり好きではなかったOR気に食わなかったのかもしれない。一度、そういうのがだめなんだってきつく言われて、お酒の場だったけれど、私は泣いてしまったし。

 

ずっと連絡を取りたいけれど取っていいのかわからなくて、苦しくなっていた。
昔のフォルダをさかのぼるたびに、その子といった、いろいろな所での写真が目に入った。

たとえばそれが、屋久島であったり、たとえばスペインのとあるカフェであったり、フランスのホテルの一室だったりした。

おちゃらけて写る彼女の笑顔や、お酒を飲んで良い気分になっている表情が、むかしは当たり前に傍にあって、今はまったくわからない。

何でも相談したし、彼女の前で泣きそうになってしまったときもある。
それでも彼女はいつもそばにいてくれた。

深夜まで、始発が車でカフェでわたしに付き合ってくれた。
怒ってもくれたし、心配もしてくれたし、寂しいとつぶやき手を握ってと言って、差し出した私の手を、仕方ないなと苦笑しながら握り返してくれたときもあった。

 

胸の中が重くて苦しくなる。

避けられているのなら、謝りたい、それだけ伝えたい気持ちで仕方なくなった。

でも、メールもラインもだめだ。
じゃあ、手紙?
と思い立ったが、手紙は一方通行の気持ちを伝える手段。
こちらの思いのたけを、平素で簡素な文を心がけて送ったとしても、それは感情の押しつけにしかならない場合がある。

向こうがわたしに抱いている感情を、もっと悪い方向にする、可能性だってある。

手紙にしろ、ラインにしろ、メールにしろ、わたしは自分勝手なんだ。
ただただ、好きな人から嫌われているかもしれないっていう状態に耐えられなくて、許してほしくて、あるいは、謝っている気持ちを知ってほしくて。
嫌われ続けている状態から脱したいだけなんだ。

また、共通の友人に相談をした。今度は女の子に相談。

その子曰く、

 

今はもうなにもかも違うところで生きているのだから、時期が来るまで待ってもいいんじゃないの、手紙は出しても出さなくても、どちらでも。

あなたが後悔しない方向で。

出して状況が好転するかもしれないし、暗転するのかもしれない。
だけど、暗転しても、今とさほど客観的に見た状況は変わらないんだから、だったら出してみてもいいのでは?

私からしてみれば、あなたも未熟だったし、あなたの急激な変化を、大人な態度で寛容できなかった向こうもどっちも未熟。
そして、いまのあなたたち二人の状態を助けてあげられない私も未熟。

人生は出会いと別れだよ、井伏鱒二風にいうと。

これまでだったら、それまでのご縁だったんだよ、それにすぎない。

 

と。

 

至極納得した。

 

しばらく、その子の言葉を噛みしめて、手紙を書く事に、決めた。

客観的な変化はなくても、彼女の心の中の私に対する思いは、手紙によって悪い方向に進むかもしれない。

だけど、それならそれで、もう仕方ない。
手紙でダメなら、もうあとは、10年くらい、あの時は~って笑えるくらいの月日が経つまで、じっくり待とうじゃないか。

何十年経っても、そんな時が来なくても、いい。そうだったのなら、それはその子の云う通り、それまでのご縁だったのだろう。

今のかすみがかった状態のほうが、つらい。
手紙をだせば、あきらめがつく。
喧嘩別れならいい、お互い言い合って仲たがいしてからの音信不通ならいい。

ふっつりと気づけば霧消していて、呼べどもなけども、何も見えないことが嫌なんだ。


 

出会いと別れが人生。

それは、わかる。

 

けど、別れ方は、自分で選べるような気がするんだ。

 

手紙を書こう。
まずは便せんと封筒から、選びに行こう。
彼女に気持ちを伝えるのにふさわしいものを、見つけ出すところから始めよう。

 

手紙は、文字だけでなくて、便せん、封筒、シール、文字の形、全てに、書き手の気持ちが込められていると思うから。

息子の便秘と痔のはなし


むかし、おしり…肛門にひだが付いているぞ?と気づき。

ネットで調べるとどうやら見張りイボというものらしい。


そこからお医者さんに行くと、それが繰り返しの切れ痔によるものだと教えてくれ….。
めでたく?息子乳児にして痔主!と判明したわけですが。

今回、派手に踏ん張ったみたいで、おむつに血のあとがついている。
血…血⁈  と焦ったけれど、多分肛門だろうと落ち着こうと意識しつつ、病院へ。

周りはインフルエンザらしい子どもたちで混んでいて、先生や受付の女の人も慌ただしくて、痔を理由に来院したのなんて、私たちぐらいだろうな…というかこの中で痔主はうちの子ぐらいなんだろうな…この忙しい時期に申し訳ない…と思いつつ、呼ばれるのを小さくなって待っていた。

やっと呼ばれて、お医者さんにぺこり。

慣れた様子で息子のお腹と背中に聴診器をあてながら、今日はどうしましたかー?と。

おむつに血が付いてしまって… 

ああ、前のところですね、ついに血かー。

と言った感じで、息子の肛門事情にちゃんと精通しているお医者さん。
いつもありがとうございます。

ベッドの上の転がされて、うつむきになる隙を与えず素早くズボンが脱がされる!

は!とした顔をしている息子くん。

おむつを取られて、いざ肛門チェック★

あーうん、そうかーなるほど。下の方もやっちゃってるねえ。

はい、いいよー。

の掛け声で、また看護師さんにおむつをつけてもらう息子。
看護師さんがニコニコしながら下着をのスナップボタンをとめてくれて、ズボンを履かせてくれるのが嬉しいのか、穏やかな笑顔でなされるがまま。

その間にお医者さんからわたしへの幾つかな質問。

母乳?ミルク?
母乳です。あとは離乳食です。

離乳食始まってから便秘気味?
離乳食始まってからもだし、その前から便秘気味で……。

……うんち、かたい?
……かたいです。

最後にうんちの軟度チェックが行われ、息子くん、再び痔のクスリにお世話になることになりました。

外の痔にはそっとぬれて、中の痔に注入できるの★というあの薬のミニチュアバージョンのようなものを処方される。
(使い方はほんとにそんな感じ。中の痔には注入できる。息子くんは切れ痔主だから、そっとぬるんだけど。)

あとはシロップ。
うんちが柔らかくなるらしい。

甘いっていう説明を受けて、あーまた嫌がって飲ませるの大変だろうなあ、という思いが頭をよぎる。
(甘いもの、嫌いなのです…赤ちゃんなのに…バナナもりんごもかぼちゃも嫌い。おかしい。わたしは全部大好きなのに。)

息子の肛門が早く良くなりますように。
つるっとするっとうんちが息子の肛門を通れるようになりますように。

がんばれ!息子の肛門!




お題。大人の服の選び方。

お気に入りの一着ってなんだろうなあ。

 

振袖も、レンタルじゃなくてお母さんが買ってくれたものだから、大事。(もう結婚したから着れなくなってしまったけれど……)

幼稚園のころから、ずっと来ていた濃い桃色のワンピースも、好きだったな。
ノースリーブのワンピースで、それを着て、なんど長野のおばあちゃんの家に行っただろう。
小さいときは、丈を何十にも追って、お母さんがすそ上げしてくれていて。
たぶん、幼稚園から小学校3年生くらいまで、着てた。

 

小さい頃は親に言われた洋服をそのまま着ていたけれど、自我と好みがでてきて。
そうしたら、服に無頓着になってきてしまった。

他に好きな物がでてきて。

 

特に、中学、高校。。

女子校だったから、いろんな女子がいて、洋服大好きおしゃれ大好きなダンス部の子たちもいれば、服なんて背丈にあっていればそれでよいのだ、という、イラスト漫画部のような子もいて。
そんなんだから、わたしも自分の好きな物ばかり目で追っていて、洋服にそこまで執着がなかった。見た目をスタイリッシュにすることで、誰か素敵な男の子から声がかかるような環境でもなかったし、こちらからアピールしたい男の子が傍にいるわけでもなかったし……。

だいたい、毎日制服だ。
おしゃれな私服を毎日来て知り合いに会うわけでもないのだ。

そのうち大学受験で勉強一色になり、洋服なんて、気温に適したものならなんでもよくなった。(気温に適した、というのが大事だ。あったかすぎると眠くなるし、肌寒すぎると鳥肌が立つ。)

 

お母さんと洋服を見に行って、お母さんとわたしと服の好みが合わず。
お母さんはわたしにこれを着せたいけど、わたしはそれが着たくない、こっちがいい、だけどその服はお母さんの好みではないからその服にはお金を出したくない。。

そんな状態になり、喧嘩になり、結果、わたしが、服はいらないから本を買ってほしいもうやだ服見るの! と我慢がきかなくなってショッピングおしまい。

もちろん、帰りの車の中に洋服もなければ本もない。

 

そんなことが続いたのだけれど。。

大学生になって、私服で毎日通学しないといけない。
大学には男の子もいる。
ふと周りを見渡すと、小学校から洋服が変わっていないんじゃないか、という女子もいる。(キュロットに長靴下にトレーナー的な。。)

ここで、わたしの目が覚めた。

 

あんなふうに回りから、残念すぎる服装を着てると思われたら、たまらない。

ここでやっと人並みに自分に似あう服を選んで購入するようになった。
バイトでお金も稼いでたから、自分好みの服を自分で購入できるようになったし。

 

お母さんとの買い物も、楽しめるようになった(ほんと、遅い。)

 

短足&背が低い&足太い&二の腕がすんなりしてない、という何重にもあるコンプレックスを隠すファッションをするのは至難の業なのだけれど、それでも、お母さんと買い物しつつ、それはわたしの体型的に着れない、などと、気持ちよくさくさく洋服を取捨選択しながら選べるようになった。

いろいろ自分で試さないと、自分に似あう洋服はわからないよね。

そんなとき、出会ったのが、SHIPSのコート。
紺色で、おしりが隠れるくらいの長さ。
体が小さいわたしは、Sサイズを選んでもコートだと、着ているよりは着られている感が強く出てしまう、から。
なかなか、コート選びに毎年至難していたのだけれど。

SHIPSのSって、わたしにぴったりのSなんです。
ちゃんと、小さめ。
肩幅からきちんと小さめ。

初めて試着した時に、今までにないジャストフィット感で驚いた。
わたしの背丈にぴったり。丈も肩幅も袖の長さも。
ぜんぶ、わたしに合っている。

こんな服、なかなかない。
しかも、コートでここまでぴったりなのは、今まで一度もない。

 

されど、SHIPS
当然、安くはない。


どうしたもんかと悩んでいた時、お母さんが横に来て、買ってあげるよ、といった。


「コートと鞄と靴は、自分に合っていて、上等の、いいやつじゃないと。」

と楽し気に言って。

そのままレジに行ってしまうから、わたしは慌てて、お母さんの後ろから諭吉さんを一枚だけレジにあるトレイに置きました。

ほとんどお母さんが出してくれてしまった、買い物だった。

 

 

なんだかその言葉が今でもストンと残っている。

 

コートと鞄と靴は、自分に合っていて、上等の、いいやつじゃないと。

 

そのコートは今も大事に着ている。

クリーニングに冬が終われば毎年出す。

 

お気に入りの一着は、素敵な大人の洋服の選び方を伝えてくれた、その、SHIPSの濃紺のコートです。

 

職場へ求めたかったこと

久しぶりに、元同期の子から連絡が来た!! と思ったら、なんと、辞めることになった、という連絡だった。
びっくり。
これでわたしの同期は、わたし含めて3人が辞めたことになる。

職業柄か、全員中学からなかなかの学歴の持ち主で、だから、辞めた! もう行くあてない!  てことにはならなそうだけれど、でも、それでも、ちょっと多いなあって感じがする。

辞める直前、お世話になった人事の人達は

「はじめがきついだけ。要領を得てしまえば、きっと楽になるし、休み方もコツを得て来ると思う」と言って、わたしが辞める事をすごく残念がってくれたけれど……。

 

3人辞めてる。
入ったのは、わたし含めて確か、13人くらい。

 

辞めた人たちにもそれぞれ都合があって、その人達の良くなかった点、会社と折り合いがつかなかった点なんてたくさんあるんだろう。

けど。

会社側が、こういう点を示してくれれば、もう少しわたし含め、あとの二人も仕事を続けていたんではないかなあと思う。ので、その点を書いてみる。

 

その1

とにかく残業代をしっかりどこの場所でも支払う。

当たり前だけれど、残業代がでない場所もあった。わたしの配属された場所は、上司の尊敬できる考え方(残業代がでるからこそ、みんな遅くまで頑張ってくれるわけで、仕事をした分はその分対価が支払われるべきという、まあ、当たり前っちゃ当たり前。)のおかげで、残業代がでないってことは、確実になかった。
しかし、他の場所に配属された子は、そうでもなかったみたい。
頃合いのいい時にタイムカードは切ってね、とか。
間に合わないんなら、休日もここにきていいよ、とか。

もちろん、残業代はなし。
そのおかげで、その子は始発に乗って終電で帰っていた。

週一の休みで、あともう一日あるはずの日は、外回りの仕事をしていた。もちろん、その分お金は支払われない。自主的にやっていることとして見なされていた。
わたしの仕事が遅いから悪いの、と言っていたけど、そういう問題じゃないと思う。
それが許されている場所と、わたしの配属されたところのように、許されていない場所がある。それだけで、もう、会社への不信感は募りに募った。

その2

具体的に先が見えるようにする。

まずは現場をということで、現場に配属されたわけだけれど、ほとんどの子が、入社理由は現場で働きたいからではなく、本部で○○という仕事がしたいから、という明確な理由を持っていた。
しかし、まずは現場で働かなきゃいけない。
それは、いいと思う。何事も現場を知ってからこそ、本部で現場のことを考えた仕事ができると思うから。
しかし、この、現場での仕事が、いつまでなのか、まったく分からなかった。

本部にはたくさんの年数を重ねた人達がすでに在籍している。
となると、いつ、現場から本部は行けるのか、まったく見当つかない。

現場でずっと頑張っていればいつか、本部に行けるという、何ともつかみどころのない淡い希望だけじゃ、頑張りなんて続くはずない。
それに、現場から本部にやっと行けたところで、現場の仕事しか知らないのだから、本部の仕事は初心者になってしまう。
もう一度初心者としてやったことのない仕事を一から学び習得し、さらに改良を続けるのは想像するだけでも大変だと思う。

何年は現場で働いてもらい、その後、こういう試験があるから、その試験に合格したら、本部へ週一から勤務が始まる、とか。
何でもいいけれど、そういう具体的な道筋あるいは、テンプレが欲しかった。

 

その3

本部と現場の相互理解、一致団結の雰囲気

 

どこもそうなのかもしれないけれど。あとはわたしの直属の上司がたまたま、そういう人だったのかもしれないけれど。
本部と現場はあまり友好的ではなかった。
本部が現場の人をどう思っているか分からないけれど、現場の人は、本部を利益重視の理想だけ押し付け、現場を何もわかっていない、とばかり思っていたと思う。

売上を上げろ、費用を削減しろ、明日からこういうイベントを行うから、この材料を使って今すぐその準備をしろ、etc...

現場の人だって、本部の言っていることだけ仕事として行っているのではない。
毎日違う業務があって、それをこなして時間は終わっていって、その合間に本部から言われた仕事をやらなければならなくて。
本部の、これ考え付いたからはいやってみて! みたいなノリに振り回されている感じだった。
そりゃ、現場が本部をあまりよく思わなくなるよな、といった感じ。で、その現場で働くから、本部で○○をしたいと意気込んでいたわたしたちは、なんとなく疑問を思うようになる。
○○の仕事内容は、一番初めにレクレーションを受けた程度で、実際どんなふうに仕事が遂行されているのか、全く見えないし。
ただ、本部から急に支持がきて、それに対応している感じ。

だんだん、わたしは、ここで、何がしたいんだろう。
どうなりたいんだろう、という疑問が首をもたげて来る。

そして、周りには残業代が支払われず酷使される同期。

いつそういう部署へ飛ばされるか分かったものではない。

…………まあ、辞めるよね。。

 

以上、3点がどうにかなればなあって気はするけれど。
残業代は当然のこととして、現場と本部の一体感、利益重視と教育重視で分かれていることが無くなり、相互がお互いがあってこそなんだと尊敬し合い、新卒の子のやる気、やりたいこと、未来をくみ取って、具体的な道筋を見せること……これらが叶えば、大分働きやすい環境になるのにな、と思う。

 

もう、わたしも辞めてしまっているし、何も言えないけれど。

とりあえず、その辞めた子と、今度会ってお話してくる!

恐らく、寝かしつけてから、夜カフェ

夜カフェなんて久しぶりだよう楽しみすぎる。

ふふ。

「20歳」……精神的な病気になっていた頃を振り返って。

今週のお題「20歳」

 

20歳って何してったけ……今から四年前だから。大学二年生のときか。

カナダに短期留学に行った。

そこで北朝鮮人に初めて会った。

ああ、そうだ。思い出した。

わたし、あのときがたぶん、摂食障害のピークだった気がする。

 

大学一年のときに、恋愛をこじらせて、好きな人を気づいたら仲良しの子に奪われていて。その仲良しだった子は、少しふっくらしていたから、わたしがもっと痩せて綺麗になったら、好きな人がもう一度こっちを向いてくれるかも、と、わけのわからない理屈で急激なダイエット。そのまま摂食障害

食べたいけど、食べちゃダメだ。
食べちゃダメだ食べちゃダメだ食べちゃダメだ。って感じ。
レシピ本、レシピサイトを見まくって美味しそう食べたい、けど、食べれないっていう思考回路を永遠とやってた。

大学とバイト、それから、食べたいけど食べちゃダメだっていうこの三つしか、当時はなかった。

 

驚くことにカナダのホームステイ先でも食べる、食べられないってやってたんだからびっくりだよね。ホストマザーのパティ―にあなたは痩せすぎって心配されたし。

でも、留学中は、基本的には食事は全て冷蔵庫の中にあるもの、勝手にどうぞだったから、自分で肉油炭水化物抜きのもを食べてた。果物とかきゅうりとかばっか食べてたなあ。

 

痩せていたことが嬉しくて。痩せすぎかもなって思ったけれど、昔のようになりたくなかった。
成人式の集まりが母校であって、中高のみんなに再会したときも、痩せてて嬉しかった。そういう、痩せて嬉しいっていう気分がハイの状態を継続してた。

それが少しずつ、自分はこの先あと何十年も食べたいけど食べちゃダメっていう苦しい気持ちで一人でずっと生きていかなきゃいけないのか、と、思いたち。

一生一人でこんなことを思って毎日生きていかなきゃいけないの??と。


前から回りに当たり散らしたり、気分の上がり下がりがものすごく激しかったんだけど、いよいよ、おかしくなってきた。
常に涙が出るし、栄養不足でふらふらするし。

大学二年の夏の留学が終わって、寒くなってきて、冬になってきて。骨と皮だけのわたしは寒さでストーブの前から動けなくなって。
このときには、食べたいけど恐怖感から食べれない状態になってた。
一日中食べる事を考え、お母さんに食べなさいと怒られ、わたしが食べないと騒ぎ、喧嘩。喧嘩のあとには、お母さんにも見放されるとまた泣いて。

何かにすがりたくて、本気で何でもいいからどこかに入信しようかと思ってた。

で、そんなだったんだけど。
ネットで摂食障害って言葉に出会って、あれ、わたしこれじゃない? わたし、病気? ってやっと気づいた。
簡単に新情報をチラ見せしてくれるネットはやっぱりすごいよね。

 

で、病院に行き。心療内科に行き。
カウンセラーに通い。
でも、食べてもいいとわかっても、食べることがなかなかできなかった。

どうして食べちゃいけないのか分からないのに、食べちゃダメと、頭が言ってきて、どうしても、食べれない。パニックで泣く、の繰り返し。

低血糖症サプリメントと食べ物で直すっていう表参道の病院にも行った。
毎日、たんぱく質の粉を溶いたやつと、サプリメントを多量に飲んで、食前にキャベツの千切り食べて、ご飯を玄米にして。

いろいろ、やってたら、少しずつ、おちついて、食べられる種類が増えていった。

一番、この病気で一番大変だったのは、たぶん、お母さん。
わたしも大変だったんだけど、四六時中わたしに当たられ、作ったご飯は食べてもらえず、目の前で自分の娘がどんどんやせ細って行って、もう一人ぼっちだといつも泣いていて。

こんなに愛してる自分の子に、まったくそれが伝わらないっていう同じ状況になったら。そう思うだけで、怖くて寒くて仕方なくなる。

あの時は、ほんとうに、迷惑かけてしまった。

 

今ではケーキも甘いものもあったかい炊き立ての白米も、バラ肉も、鶏ももの皮も、何でも食べますw
太ってきたから少しは痩せなきゃっておもうけど。ダイエットをしても、前みたいなふうには、もうならないと思う。

精神的につらいときにダイエットは、やめよう。
心が満たされてるときに、幸せを感じつつダイエットするのが良いよね。

20歳の頃、少なくともわたしは、年齢だけ大人になって、精神的には不安定な思春期そのものだった。

家族もだけど、年齢が上がるとともに、どんどん自分が立っている社会も広がりをもっていって。

広がっていく社会に存在する人、家族だけから、同い年の友達、先輩後輩、先生、上司、部下……そのステージごとに、色んな人と出会って、尊敬して、嫌いになって、好きになって、大事に思って、苦手と感じて、愛していると心底思って。

人に抱くいろんな種類の感情を、味わえば味わうほど、精神的にも大人に近づけていくのかな、と思いました、まる。

 

いま、まだ、24歳で、もう24歳の、しがない考えの文章でした。

一旦の終了、保育園見学

保育園見学最終日。(最終日っていうか、もう電話で予約するのやめただけだが。)

 

最後の保育園(もみじ保育園)は、電話の印象ですごく真摯に対応してくれるな~ってイメージだった。

で、行ってみたら。

園庭はなかなか広い。
今までで一番広いんじゃないかな。遊具も多少ある。

あと、園内は少し古くて、でもしっかり、ここで長年子どもたちを見てきましたっていう暖かい年期がこもっている雰囲気だった。

もし保育園に入れるなら。ここを選んだかもしれない。
なんというか、勉強と遊びがバランスを取れていて、勉強よりも、遊びよりも、何よりもまずは子どもたちの身体的精神的成長を見守っていく、大事にしていくといった感じ。

あのね、ほんとに、よかったの。

保育園見学で、一時間もしっかり見学させてくれたところは初めて。
で、見学の前に、園の理念とか、どういうふうに子どもたちの成長を見守っていくかっていう方針も、しっかり教えてくれて。
(もともと教育現場みたいなところにいた身としては、こういう話を聞くのがすごく好き。やっぱ理念あってこそ、教育とか、子どもと接するときの様々なことがぶれずに決まっていくと思う。)

ただ預かるだけでなくて、勉強させる、時間が持てあまらないように一緒に楽しく遊ぶ、ってだけじゃなくて。

ここで生活をするわけだから、子どもがどう育っていくように、どのように接するかっていうのが、本当によくわかった。丁寧に説明してくれた。

たとえば。

年齢で二つに区切って、考えるんだって。0歳から2歳?と、3歳から5歳。あれ、0歳から1歳だったかな……。えっと、とにかく、まず、下の年齢では、「自己主張」をできるようになるのが目標。上の年齢では、「我慢」ができるようになるのが、目標。

自己主張が出来て初めて、我慢というステップにいける、と。

お遊戯会で、人気のお姫様の役を、AちゃんとBちゃんが取り合いになった時。Bちゃんは優しい、というか、気が弱いところもあるから、すぐにAちゃんに役を譲ったとする。
このとき、大人としては、この決定のまま、進んでいくのが一番らくなのだけれど、そうではなくて。

いったん、Bちゃんをこっそり呼んで、本当はどの役がやりたかたのか、聞くらしい。
そして、Bちゃんが、本当はお姫様の役がやりたかった。でもAちゃんがやりたいって言ったから……という理由だったら、もう一度、Aちゃんの前で、その自分の主張をいえる場を設けてあげる、らしい。
話し合いの結果、Aちゃんがそのまま、お姫様の役かもしれない。それでも、ここには自分の主張を自分で伝えられたかどうか、という大きな差異がある、と。

 

すごくすごく納得した。

他にも、怪我とか設備のこととか、あえて、考えて、こうしているとか、このように見守っているっていうのがあったけれど、長くなるから、書かないけど。

ただ預かるだけじゃない。すごくよかった。

 

幼稚園は、もっとそれぞれ園がカラーを出して、こういう教育方針、理念っていうのが、あるのかな。

 

幼稚園もみてみたくなる。

不安で眠れなくて、底にいる。

確かなのは、横手目をパチクリ開けてる子どもの体温の高さだけ。

あったかさだけで。あとは全部、いつでもすぐになくなってしまうような気がする。


いつかわたしのせいで、すべてダメになってしまう気がする。


よかった保育園に出会った。

保育園見学、第三段……なんかもうさっさと書いちゃおう自分へのメモメモ。

うんと、今までで一番良かった。

わたしが一番いいなって思うのって、多分幼稚園的なところなんだ。

今回のパレット保育園は、それが一番、イメージ通りだった。

絵本の読み聞かせに力を入れてくれてて、プロジェクトマッピングを使った読み聞かせなんかもしてるらしく……びっくり。
あと小人数制なのもよい。
ゼロ歳児にも読み聞かせをしてくれるんだからびっくりだよね。

あと、絵本に出てきた食べ物を給食で出してくれたりもするんだから、いいよね。夢があってすごく素敵。

でも。
少人数だからこそ。、ゼロ歳児からじゃないと、もう入れないっぽい。
すなわちもう無理っぽい。

はあ……。


保育園、ここはよかったなあって思って、あきらめがつかなくて。

じゃあもっと良い幼稚園があればいいんじゃないかなって思って、幼稚園情報を探しまくってました。

そしたら。
幼稚園って入園料高いんだね……20万以上するところもあるんだね。

で、人気なところはほとんどプレ(2歳)からしか入れなさそう。

今住んでるところ、わたしが通ってた幼稚園もあるんだよね。

なかなか、マンモス幼稚園なんだわ。うん。

で、楽しかったのは図工とか遊具とかたくさんあったから……だけど、マンモスだったからか、ほんのり、遊ぶ人が一瞬いなかったりして、寂しい思いをした記憶がある。
ほんの数分、あれ、誰もいないって思っただけだけど。
そのあとすぐ、先生が来てくれたけど。

迷うなあ。とりあえず、プレから幼稚園入れよう。
バイオリンとか、やってくれるところもあるし。
延長保育も幼稚園でもあるし。

もう頭の中は幼稚園です。


保育園見学、第二弾(青葉フレール)

保育園見学、第二弾。

 

今回は青葉フレール保育園ですよ。

 

ここは、園内施設がすごく整っているのがいいなあって思ったんです。

 

施設内は一階は床暖、園庭があって、遊具もあって、お砂場もあって。プールもする場所があって、小さいけれど畑もある。

 

HPを見る限りすごく施設が充実しているなってワクワクでした。

 

行ってみると、ホントに、施設はすごい。一階は床暖だしということで、はだしが原則みたい。みんな走り回っていて、吹き抜けのホールにはグランドピアノが一台、鎮座。

 

園庭は広くて、遊具も、小さな小さなログハウス? みたいなものもあった。

園庭も充実してるけれど、近くの公園へんもよくお散歩へ行くみたい。

 

あとは、食育にかなり力を入れているみたい。

有機野菜とか、保育園で育てた野菜を使ったものとか。

離乳食も全て手作りで、おやつも手作りだって。

アレルギーが出た場合は、それに対応して手作りでご飯を作ってくれるみたい。

 

男の先生は一人だけかな?あ、園長先生も男か。

あと全体的に先生は若い女の先生が多いっていう印象でした。

 

悪くないけれど、なんとなく、雰囲気は昨日の方、が良いかも……。

 

なんだろうな。

先生が見守っているだけって感じ。

先生としてびしっと規律をもって、しっかり責任もって成長を見ているし、促しているっていうのが、昨日の園の方があったような気が……。

ほんとに気がするってだけだけど。

もしかしたら、昨日はさようならの会を時間的に見ることが出来て、今回は、それが時間的に見ることができなかったからかも、しれない。

 

小学校準備でいうと、前回と同じく、やっているのは午睡をなくすくらい。

 

保育園だし、そんなものなのかな。

 

まとめ

・畑もあって食育に力を入れている。

・園内施設が充実している。

・園庭も遊具もプールもある。

・地域の人との交流もある。

・異年齢交流は3歳からスタート。

 

 

別談。。。

 

ついに、石油ファンヒーターが届きました!!!

 

室温が初めて20℃になりましたよ……いまだかつて、この部屋がこれほど気温が上がったことがあっただろうか、空気清浄機の気温が20℃を示したのなんて、初めてです。

 

少し石油臭かったけれど、すぐにそれもなくなり。

快適。。

 

ただ、一酸化炭素には気をつけなきゃね。

 

あとは、石油のポリタンクの置き場だな……玄関に置いてあるけれど、本当は外に置きたい。玄関がどうしたって少し石油臭くなる。

 

なんか外に置ける物置がほしいですな。

 

はじめての保育園見学(ニチイキッズ)

雪ーーーーって騒いだ午前中、落ち着いてきて、寒いとひたすら思っていた。

本当は外出なんてしたくなかったんだが、しなければならない用事があった。

 

保育園見学です。

 

衝動的に、保育園入れなきゃって焦った自分は先走りまくって保育園の見学電話をもういくつも入れてしまっていたのでした。

 

でも、保育園見てみたかったし、いいんだ。

たまたま雪降っちゃったけど。

 

向かったのは、ニチイキッズという保育園。

 

駅から徒歩15分でかなり離れている、けれど、うちから一番ちかい保育園。

(うちは駅から徒歩30分くらいなのです。かなりすーぱー離れています。)

それでも、車か電動自転車で送迎必須になりそうだけど。

 

駅から離れているから、保育園も駐車場をいくつか確保していて、送迎の車率の高さをうかがわせていた。

 

園内は自動オートロックになっていて、インターフォン押して入る仕組み。

0歳、1際、2歳、まではそれぞれ教室が区切られてて、3歳~5歳までは、大きな部屋が仕切りでそれぞれの年齢で仕切られている感じ。

 

年下の子が年上の子のお部屋に先生たちと行って、「あ~そんで~(*^^*)」とやってたので、年上の子が年下の子を面倒見る、交流するのはとても頻繁にありそう。

 

それから、どの教室からも園庭へ段差がなく遊びに行くことができる。

 

園庭はまあまあ広い……けど、砂場と雲梯? ぐらいしか遊具はなかったかな。

危なくないからいいのかもしれないけれど。

 

あと、一応、英語とリトミックを取り入れているらしい。。けど、これもまあ、そんなに力を入れているわけではなさそう。

 

最近は、小学校から、あまり教えすぎないでと言われるそうで。(教える前に変なクセがついてしまっていたりするから、らしい。。)

保育園ではのびのび、遊んで、遊びの中で学んで。お勉強は小学校から、と、しているみたいだった。

 

スモッグもお布団も、全部用意してくれているみたいだったから、そこはすごく良いなあって感じ。楽ちんだもんね。

 

教育的なもので、魅せているというよりも、安心して預かってもらえるっていう雰囲気。

先生もしっかりしてそうだし、給食もしっかり考えられて作られたものだし、おやつも手作りだし。

保育園からそのまま5歳まで面倒を見てもらうってなると、小さい頃からこどもそれぞれの性格を分かったうえで、トイレの練習や先生の話を聞く事、とか、見守ってもらえるから、そこはかなり良いよね。

でも、だんだん、小学校入学前になると、何かプログラム(英語でも絵本でも読み書きでも)を少しは期待したくなるからなあ……あまりそういうところには重きを置いているようではなかったから、悩みどころ。

 

3歳で転園っていう手もあるけどね。

 

勉強は小学校に入ってからで十分っていうのもわかる、のびのび遊ばせたいって気持ちもある。

それと同時に、小学校に入ってから、周りの幼稚園組がどんどんできて、自分はできない……っていう気持ちから、勉強なんて、嫌って気持ちを抱かせるのだけは避けたい。

 

まとめ

・駅から離れているので車か電動自転車必須(駐車場有)

・離乳食も給食もおやつも、調理室で調理されたもの

・持ち物が少なめ

・園庭は広い(遊具はあまりない)

・お散歩あり

・上の子と下の子が交流する機会多数

・先生がベテランのおばさんから若い女の人までいる。男の人もいる

・子供一人ひとりに沿った成長を見守ってくれそう

・お部屋に一つはエレクトーンがある

 

さて。明日も保育園行くぞ。

 

 

暖房器具の、購入

さ、さ。
寒い寒い寒い寒い。

こちら関東ですが、雪です。
寒い。

どこもみんな寒いのでしょうが、うちの中の寒さが尋常じゃない、気がします。
その理由。

1  エアコンで暖房

いまの我が家には暖房器具がエアコンしか有りません。
もともと越してきたときからあったエアコンですが、調べてみると、10畳用のエアコン。。
我が家のリビングはカウンターキッチン含めて17畳くらいあります。

あれ、おかしい。

2  外の寒さ

ご存知の通り、雪ですね!
外の気温があまり上がらず、雪が溶けにくいのが今日の特徴のようで。
そのせいか、エアコン、しょっちゅう、考え事に走ります。
ウィーンと音を立てて付いていたと思えば、運転ボタンの緑色のランプをカチカチさせて、しばらく思案中になります。温風が出てきません。  
何も考えることなく、ただただ部屋をあっためてくれればいいものの。。

3  階段の位置

我が家はリビングの右側隅に階段があり、2階へと繋がっています。
階段から降りてきて、まず見えるのが、なんと、エアコンなのです。

2階から降りてくるとエアコンと目線が一度同じになり、徐々に階段を下りるに連れてエアコンが目線の上へと移動します。
みなさん、暖かい空気はどこへ行くかご存知ですか?
そうですね!
上へと行くんです!

エアコンから出された温風はどこへ行くのか?
リビングへ広まることなくそのまま、まっすぐ、階段に通じて、2階へと進んで行ってしまってるのではないでしょうか?

以上、1〜3の理由で、空気清浄機によると室温が16度しかありません。
エアコン設定では20度なのに。

今月電気代がパナいので、ほんとはエアコン使いたくない……けど、電源が切れない。。

朝の話し合いの結果。どうやら石油ファンヒーターにやってきてもらうことになりそうです。

メーカーは省エネNo. 1だと思うコロナで!!

ベビーガードを買わねば。


ガス栓がリビングにない我が家では、1番安価で手軽な方法だと、結論付けされました。

雪は好きなんだけどなあ。

夜の時間が……

最近、どうしてもどうしても、だめ。

 

夜、起きていられない。

本当に、全く起きていられないんだからびっくりする。

 

17時くらいに、ちょまの離乳食でしょ、その後、お風呂洗って、お湯をためて、お風呂に入れるでしょ。

 

ちょまと格闘しながらおむつをつけて、パジャマを着せるでしょ。

(動くようになったら本当に、服が着せられない……何であんなに死にもの狂いで寝返りをしたがるんだろう。服を着させてくれ。)

 

で、この時点でだいたい18時過ぎとか、18時半前とか。

 

ふうって思いつつ、入浴後の一杯ってことで授乳する。

(この時わたしはまだ入浴後の一杯は飲んでいません。干からびそうになりながらも体内から水分が失われていくのです。)

 

で、ベビーチェアにのせて、今度は大人の夜ご飯の開始。

19時前くらいにご飯スタート。

 

適当に食べて、19時半くらい、で、食べ終わって、食洗器に器をつっこんだりフライパンとか大物は自分で洗ったり。

 

そうこうしているうちに、ちょまが眠さの限界でぐずりだす。ので、二階のベッドにつれてく。

 

最近、夜泣きがひどすぎて……起こされて、一時間大泣きして、寝たと思ったらまた一、二時間あとに大泣き、の繰り返し。

 

だったので、ただいま夜のみ断乳中です。

それでも頻繁に夜起きるんだけど。

添い寝してあげて、トントンすれば寝てくれるようになりました。

 

でもね、これね。

ベビーベッドでトントンして寝かせるクセをつければよかったと本当に後悔してます。。

添い寝じゃないと、寝なくなった。

添い寝して深く眠らせて、ベビーベッドに置くんだけど。そのあともう一度起きたら、もう、今度は添い寝し続けないと寝ない。

 

ベッドが狭い。

 

ちょまに気を使って寝るから、なんか、凝る。

 

そんな感じで朝6時までやり過ごす。6時になったら、ちょまは泣きながら目をぱっちり覚ます。

 

また一日が始まる。

 

これを繰り返していたら、夜、寝かしつけるときに、おかしなことが起こるように。

 

なんと、わたしが寝かしつけているはずが、ちょまに寝かしつけられてしまうようになってしまった。

 

はっと起きるともう23時くらいだったりして、見たかったテレビも何もかも終わっていて。一階に降りると旦那さんが寝る準備をしていたり、する。

 

ふう~ちょまが、寝たぞ。これからはのんびりゆったり大人の時間だ、静かにテレビが観れる、本が読める☆っていう時間が皆無に。。

 

おかしい。

寝かしつけているはずなのに。

どうしてこうなるんだろう。

お題。仕事を選んだ理由。就活の頃を思い出して。

今週のお題「今の仕事を選んだ理由」

 

今は仕事、していないです。

強いて言うなら、息子、ちょま君のお世話のわけですが、でも、育児は仕事じゃねえよ仕事甘くみんなよっていう言葉が飛んでくることはないにしても、お腹の底の底で思われるかもしれないので、わたしが、新卒で入った会社、仕事について。

何のお仕事を選んだかというと、中学受験業界の大手企業に入りました。

 

私自身、中学受験をした際に、そこの塾に通ってはいなかったけれど、そこの塾が出しているテキストを使用していました。

それが、あの会社に入ってみようかなと思った、きっかけ。

 

大学生のときも、塾講や家庭教師をしていて、教えることは嫌いではなかった、子ども(小学生はともかくとして、中学生、高校生を子どもと言うのはなんだか微妙な気持ちでバイトしてたなあ、その頃は)も、好きだったし。

 

先生として好かれるのも楽しかったし嬉しかった。

 

機会的に流れ作業をするのではなくて、一人ひとりとコミュニケーションを取って、おしゃべりをして、問題が解けたとき、できるようになったときの顔を、見るのがとても楽しくて幸せだったんだよね。

 

だけど、わたし、教育学部でなくて文学部だし。

本当は出版社に入りたかったんですよね実は。でも、ものの見事に全部玉砕しまして。

(一番いい線いってた、某大手絵本の出版社、最後の方でお祈りメール来たときは三日くらい誰とも口きかなかったわ……)

 

でも三日間、息吸って排出して流動食とか液体とかばっかり接種して過ごした結果、わたしってばきっと編集者側じゃなくて、いつか執筆する側として出版社と関わる運命だったんだわ、きっとそうに決まってる★だから落ちたのだってもう仕方ない受け入れなければならない運命だったんだわ★っていう謎のポジティブ思考により、就活を再開したわけでした。

 

そこで出会ったのが、すでに述べた、中学受験大手企業。

 

国語のテキストも編集していることに気が付いて、じゃあ、教えるのも好きだし子どもも好きだし、ここでいつか教材編集部に行けたらいいな、と思い、受けてみることに。

 

筆記試験とかなんかいろいろあったけれど、必死になっているうちに内定がもらえました。

 

あの当時は、こういう思考回路で、中学受験の仕事を選んだわけだけれど。

今考えれば、わたしはいつまでも過去の栄光にすがりついていただけのようにも、少し感じる。

 

中学受験をして、わりといい女子校に入って。

そこの中高一貫の女子校でもわりと勉強を頑張って、校内トップの成績を維持して。

指定校推薦を狙うつもりだったけれど、他の子にとられてしまった。

他の大学なら、指定校推薦で入れたけれど、諦めきれず。

頑張りぬいて、結局一般受験で第一志望の大学(WとかKとかそこらへんの私大)の文学部に入学した。

 

こういう、栄光の軌跡に少しでも関わりある仕事を無意識のうちに選ぶことで、中学、高校、大学、それらよりももっと大きな世界から、自分を守ろうと、してたのかもなあ、と今改めてふと思った次第です。

 

もし就活の頃に戻るなら。

 

自分が守りに入れる、過去の輝きにしがみつける企業じゃなくて、今後、自分が本当にどうなりたいのか、で、企業選びを必至にやりたい。

 

今後っていうのは、結婚して、子どもを産んで、とか、そういうところまで、考えて。向き不向きも大事だけれど、(そのためには、何となくやったことがあって、仕事に対するイメージが持てるっていうの必要なんだよね。。)ライフワークバランスが取れて、この仕事をし続けることで将来こうなっていきたいっていう確固としたイメージがあれば、どんなに新しい舞台でも、少しずつ着実に仕事を続けることが出来ると思うから。

 

何を言おうと、もう、後の祭りなのだけれど。

 

こういうことを、次、は、保育園に預けられたらOR幼稚園に入れたら、しっかりと意識して働きたい。

 

まだ20代後半にもなっていないし。

(前半とは少しずつ言えなくなってきてるけどさ。)

 

反省はするけど、後悔はしないで、がんばるのだ。

 

ほいくえん

今日はラピュタバルサ祭りのために、しっかり意識を持ち上げていかないと、と思いながらすごして、何とか成功した。

 

もんもんと悩んでいるならとりあえず、まずは行動してみればよかったんだ。

保育園、おそらく入れることはできないけれど、それでも見に行ってみるだけしてみよう。

電話して、いくつかの保育園に見学を取り付けた。

私自身は、保育園入ったことがない。幼稚園からだった。

保育園ってだからあんまり、イメージがない。

 

保育園、認可と認可外のほかにいろいろな種類があるんだって初めて知った。

あとは、保育園でやってる中身も、それぞれ全然違う。

とりあえず預かってくれるようなところ、もあれば、もっと教育的カリキュラムが整っているところも、ある。

園庭があるところと、ないところ。

考えてみれば、保育園それぞれにカラーがあって当たり前なんだけれど、何となくどれも似たようなものだと思っていた。

お昼寝があって、ご飯があって、ぐらい、だと。

 

でも保育園で5歳まであるところは、当たり前だけど、それなりに年齢による教育プログラムがある。(なさそうなところもあったけれど。)

 

とにかく外遊び、泥んこ遊び、はだしで駆け回らせるような保育園もあれば、週一に英語講師が来てくれて、文字の読み書きからピアノまで教えてくれるところもある。

 

結局、子どもの性格によると思うんだよなあ。

屋内でお絵かきや一人遊びが好きな子が、泥んこ遊び外遊びばかりの保育園に行ったらそれはそれで苦痛だし、他の子からいじめられるかもしれないし、でも、エネルギーが有り余ってて、外で遊び回りたいような子が、お勉強お勉強している保育園に行ったら、窮屈でつまらなくて、つらくなると思うし。

 

じゃあ自分の子はどうなんだろうと考えると、そんなもんまだ九か月だし歩く事さえ(ハイハイさえ)できていないんだから分からないんですよ、うん。

 

男の子だからっていうので一概に決められるものでもないものね……。

 

だとすると、中庸がいいよね!!!(簡単に考えすぎ?)

 

適度に勉強もして適度にお外遊びもするところ、がいいな。

 

来週から保育園見学祭りの日々が始まるけど、少し緊張、少し楽しみ。

 

保育園に預けられたら、いきなり正社員は無理かもしれないから、契約社員でもアルバイトでもいいから働こう。

司書関係の仕事がいいな。。

 

もし預けられなかったら、のんびり息子、ちょまくんの成長を見ていこう。

 

お金はいくらあっても困るものじゃないから、しっかり貯めつつ。。

 

で、早く子育て終わらせて社会に出たいから、二人目も、できれば。

 

保育園に入れられるようになったら、もしくは幼稚園に入れられるようになったら、その通園費よりも多くのお金をわたしが稼ごう。