つらつら、つら

ぼーっとしてると言われるのでそのぼーっとを文字にしてみようと。たぶんそんな内容。

『蜜蜂と遠雷』を読んで

こんにちは、おゆです。

感想が書ける今のうちに、忘れないうちに、書いておきたい本を一冊。

 

これも、ツイッターで、同じ大学で同じ学部だった友人が強くオススメしていた本だ。直木賞を取る前だったかな?

(どんだけツイッターしているんだよっていう。でも子育てしながら何かじっくり読む時間はあまりなくて、そうするとこまごまとした時間で、ふとしたときにスマホでみることができるのがツイッターだったりする。)

直木賞、どの作品が受賞するんだろう、とざわざわしているとき、その友人Sちゃんは絶対に、絶対に、『蜜蜂と遠雷』が取ると断言した。

さらには、これから『蜜蜂と遠雷』をまっさらな状態から読むことができる人がうらやましい、圧倒的読後感を味わえるなんて、本当にずるい、とも。

 

それほど言うとは、いったいどんな内容だ、と思いつつ、給料日、お財布が豊かになった日に、銀行回りをしたあと。

 

財布の紐が緩むのも仕方ない。

ベビーカーを押しながら書店に入り、うずたかく陳列されている一冊を、手に取って購入した。

 

何日間かかけて読んだ。

しばらく、寝かしつけのあと、わたしの頭の中は毎晩クラシックの曲が響き続けた。

 

確かに、圧倒的読後感だった。

読み終えてから、今の今まで、我が家のBGMは作業用クラシックBGMだ。

ずっとクラシックが流れている。(※Eテレを付ける時間以外。)

 

どこかで少しでもクラシックをかじったことがある人、クラシックが好きだと自負している人、届かぬ才能の存在を目の当たりにしたことがある人は、きっと楽しんで、ときには胸に迫るものを感じながら、読み終えることができると思う。

 

 

もともとクラシックは好きだった。三歳から十五歳くらいまで、ピアノをずっと習っていた。しかし、プロに行くような道を目指しているわけでもないし、(途中までは親が本気モードだったから、音楽教室などに通っていたこともあったけれど。)完全に趣味として、どこまでいけるか弾き続けている感じだったので、本の中にでてくる多彩な登場人物たちよりも、はるかに下手だ。

比べてはならないほど下手だ。

 

けれど、ピアノに親しんでいたから、クラシックは好きだ。

今でも、ふとしたときに生演奏を聴きに行きたいと思う。

 

圧倒的読後感に頭をしびらせ、ぼんやりしながら感じたことは、ただ一つ。

わたしも、何か一つでいいから、自分の思い通りに楽器を鳴らせるようになりたかった、ということ。

 

登場人物たちのように、何かへの圧倒的な才能が、ほしかった、とは思わなかった。

それほど、彼らの才能は圧倒的で、飛び抜けているから。

 

自分は鳥ではないから、空を飛ぶことはできない、ということはわかっている、そんな感覚に似ている。

 

無理なものは、無理なのだ。

彼らにあって、自分にはない、足りないものを得ることはこの場合、不可能だ。

 

わたしには才能がないから、彼らのように自由自在に音楽と遊ぶことはできないし、そんなこと望みもしない。ただ、もうちょっとだけ、楽器を自由に鳴らすことができるようになりたかったなあ、という、小さな小市民的な願望がちらついた。

 

ちらついた願望は、熱望に変わっていく。

 

ピアノじゃなくてもいい。

ファゴットでもフルートでも、トランペットでもいい。

シンバルやカスタネットなどでもいい。

 

自分と世界中のどの国の人々とも、もしくはすべての生き物と、言葉を必要とせずに繋がることができるツール、それが音であり音楽であり、クラシックだ。

 

わたしも、言葉や文字を必要とせずに、誰かと交流できるようになりたかった。

 

久しぶりに実家にあるアップライトに茶色いピアノを弾きたくなった。

といっても、もう指はすべりまくり、転びまくりで、まともに弾けたものじゃないだろうけど。

一番最後のほうに発表会の曲で弾いた(要はものすごく練習して弾きこんだ)メンデルスゾーン舟歌、くらいだろう、唯一自分が音楽に良いながら弾くことができるのは。

 

それでもよいから、ピアノを弾きたくなった。

 

 

 

彼らがどんな人ともコミュニケーションをとることができる音楽というツールを、自分の指から鳴る音を、聞きたくなった。

 

わたしの音はどんな音だったのか、何を含んだ音なのか、聞きたくなった。

 

音楽は、楽器は、ピアノは、言葉なしに、時間も飛び越えて、人とつながることができるツールであり、自分だけの友だちであり、相棒であり、大っ嫌いな憧れの人に似ていて、幼いころに持っていたぬいぐるみのような懐かしい匂いがするものだ。

 

いつだって受け入れてくれて、突き放してくる。

 

世界は音でできていて、過去現在未来のX軸から地球上全ての音のY軸まで、果てしなく繋がり広がっている。

 

その広がりの中、自分の立ち位置を確認して、どこか遠くへ飛んでいきたい人。

どこにも行けない自分を知っている人。

独りを感じて、時空を超えることができる新しい友だちがほしい人。

 

クラシックという選択もありです。

 

まずは読んでみてください。

 

 

蜜蜂と遠雷

蜜蜂と遠雷