『いつか別れる、でもそれは今日ではない』を読んで
最近話題の(話題となってる人の中でしか話題になっていないのかもしれないけれど)
Fさんの本、『いつか別れる、でもそれは今日ではない』を読んだ。
読み終わった。
ずっと読みたかった。
しかし、ツイッターで回ってくる情報では、どこどこの書店は売り切れ、だ、再入荷した、だ、アマゾン予約が一番早い、だ(わたしは本はできれば書店で手に取って買いたい。なにごとも、ネットで買うより実際に足を運んで目で見て触れて買ったほうが、満足度が高い古典的な人間だから。平成生まれのはずなのだけれど)という、購入意欲を急かし、なおかつ、手に入らないんではなかろうかという不安をあおるものばかりで、まさかたまたま立ち寄った本屋で手に入るとは、思っていなかった。
見かけた瞬間すぐに、一番きれいなものを選んで、レジへ直行した。
絶対に夜読もうと決めていた。子らが寝た後、主人が帰ってくる前、ひとりの夜に、浸りきって読むのだと。
でも、我慢できず、夕方よりもすこし昼よりの時間帯、夕飯の支度でお肉を解凍しているとき、子らがまだ昼寝をしているときに、フライングで読み始めた。
それからずっと、じわじわしている。読み終わた今も、じわっときている。
脳がフル回転で動いている。
だからこうして、余韻に浸りきっているうちに、感想を記しておかなければと、パソコンの前に座っている。
※※今後読む予定の方でまっさらな状態で読み始めたい人は、以下は読むことをおすすめしません。※※
Fさんはツイッターでフォロワー数が13万(これは本の帯で知った…そんないるんですねすごい…)の人だ。
いっとき流行った、携帯小説のような軽い言葉でひたすら重い内容を書くような、涙をやたら誘うような内容を文で表すような、そういう万人受けすることをツイートする、
人ではない。
独りで一人で1人を抱えている人に、語り掛けてくることを呟いている人。
ああ、うまくいえない。言葉で表すととたんにちゃらついた、軽々しいものになる。
気になる人はFで探してフォローするのをおすすめする。
本を出す以前から、ツイートした文章がものすごい数のリツイートになる人で、で、まあだからこそ出版の話になったんだろうな。
140文字じゃ語り切れないものが、ずっしりと本にはつまっていて、大体たぶん、3時間くらいで読み終わったけれど、これは読み終えて、アー面白かった、と、本棚にしまう本ではない。
手元に置いておいて、ふとしたとき(ひとりのとき)にページをめくる本だ。
物語ではない。ジャンルでいうと、おそらく、エッセーであり、随筆。
Fさんの告白本のような、Fさんの考えていることを露呈させているような、本だ。
羞恥プレイ。
しかし、これは作者だけでなく、読んでいる読者も羞恥プレイに陥る。
書かれていることが、大声で誰かに話すことができるような内容ではないから。
大人の中二病のような、でもそれが真理であるような。
結局、大人になって生きている世界は、思春期に感じた世界とほぼほぼ同じで、ただ大人のフリをしていろいろなことを隠すことがうまくなっただけだで、見えないふりもできるようになっただけで、しかしそれを、ものの見事に大人でも、読んでいて堪える文章にして表してくる。
それがこの本だ。
多くの小説が、物語の軸となる人間関係、小説の長い時間軸を使って、なんとか比喩と物語の流れと主人公たちの会話とで、人の絶対的な孤独、恋、愛、絶望、嫉妬、反抗、裏切り、恥、醜さ、などを、読者に伝えようとする。
しかし、この本は、それらをストーリーやキャラクターの中に隠すことなく、文章で見せつけてくるのである。
人は愛せずにはいられないこと。
恋い焦がれること。
愛って大事だよね、恋って大事だよね、それでも人は孤独だよね。
文章にすれば簡単なのだけれど、そんな簡単な言葉で、愛や恋や孤独を語ることなんてできないことを、生きているわたしたちは知っている。
だからこんなに、生きていることは、生々しくて、涙の味がするときもあって、自分は究極的にはひとりだと、考えずにはいられない夜があるのだ。
読み始めて、最初のうちは、恋だの愛だののキーワードが出てくるたびに、主人があてはまるだろうか、無意識に考えながら読んでいた。
友だちの話がでれば、自分の親友を考えていた。
学校の話がでれば、自分の学生生活やその頃の友人、先生を思い返していた。
読み終わる頃には、誰もいなくなっていた。
私は私としか、対峙していなかった。
幸せも孤独も、愛しているかも、愛されているかも、究極はどうやってわかるなのかというと、自分がそう自分自身に決定づけるしかないのだ。
そう思い知らされた。
そして、だからこそ、もっと自分を知る=もっと自分を愛してみよう、自分の声に耳を傾けよう、という気持ちになる。
何年もかけて、Fさんの生きている時間、読んできた本、見てきた映画、聞いてきた音楽、それらすべてを吸収してできた、ある種の人生のとらえ方の一つを、わたしはたった数時間で手に入れてしまった。
いや、全容はまだ一読じゃ手には入っていない、けれど、片鱗は手に入ったし、ある種の考え方の答えの例も知ることができた。
読むという行為、それだけで。
少しなんとなく申し訳ない。
でもこれだから、読書はやめられない。
思春期に突入して、女子校のクラスにうまく溶け込まず、親にも恥ずかしくて耐えていたころがあった。
結局、母にばれて、わたしは泣きながら母に孤独を訴えた。
すると母はすごく優しい顔で、こういった。
「でも人間って、最後には、ひとりなのよ」
ずっとそれ以来頭に、母の言葉がふとしたことでよみがえる。
ひとりを感じたことのある、孤独を見たことのある、全ての人にお勧めします。