つらつら、つら

ぼーっとしてると言われるのでそのぼーっとを文字にしてみようと。たぶんそんな内容。

ハートフルなおはなしって……

ハートフル×おばけ、ていうお題で童話を書かないといけないのだけれど。

 
なにをどう書いてもハートフルな話にならなくて、つらい。
 
ハートフルハートフルハートフル
 
頭がクルクルしてきたから、ハートフルの意味を再確認。
インターネットでぽちぽちぽち。
 
あ、ハートフルなんて英単語存在しないと判明。
あるとしてもhurtfullでこれだと、苦痛を与えるとか有害なって意味になって、もはや主催者側はこちらの意味を……⁈とか思ったけど、童話だからそれはない。
 
話は戻ってハートフルハートフル。
 
なんでハートフルにならないんだろう……考えてた話の筋ははハートフルなはずなのに、いざ描こうとしてキャラクターを動かしてくと、途端にハートフルじゃなくない方向へ話が転がりだす。
 
なんでなんでと思って、あわあわしてて、考えてた。
 
たぶん、わたしという人間がハートフルじゃないんですね、これ。
 
わたしは、根元がおちゃらけたり、てきとーだったり、根暗だったり。
 
だから、話ありきのキャラクターとして、キャラまでガチガチにかためた状態じゃなくて書き始めると途端にキャラが自己主張して暴走し始めてしまうんだな。
感動系にならないんだな。
 
よくて、ふわあふんわあっとした、ニコニコできるお話で終わるんだな。
 
……どうしようとりあえず書きあげるべきなのかな。
キャラかためるほど長くお話を書けないし。
嫌になってきた。
 
わたしはハートフルな人間じゃ、ない。

自信のつけ方

自信の持ち方、つけ方は、二通りあるような気がしてる。

 
一つは、他人に寄るもの。
たとえば、料理が得意です、自信持ってますという場合。
他人に寄る自信は、料理が昔から好きで、土日ごとにお母さんの代わりに夕飯を作ってあげたり、お菓子を作ったり。部活でも調理部に入ったり。
 
そんな生活で、いろんな人に上手だね、美味しいよ、と言われて、ますます良い気分で作るようになって、料理の腕が上達する。
本当に料理が得意になる。
料理に自信を持つようになる。
 
もう一つは、自分自身に寄るもの。
 
上で述べたのと同じように、頻繁に料理をする。
だけど、自分の理想形がしっかりしてて、その理想形と自分の現状はまだまた、かけ離れてる。
だから、もっと努力して頑張る。
料理作るのは好きだからもっと頑張りたい、自分の理想形に近づきたい。
 
確実に料理が上手になる。
腕が上がれ上がるほど、理想形は進化していくから現状に甘んじることはない。
そしてこれだけ努力してるのだから、と、自信がつく。
現状に満足はしてないけれど、もっと先を見ているけれど、自信をもって料理を振舞うようになる。
 
わたしが料理にいつまでも引け目を感じて納得がいかないのは、①だからだ。
だから、生姜焼きを作ればお義母さんのと味が違うか聞いたり、向こうのお家で炊き込みご飯を食べれば、うちでも作ってみて反応をうかがったり。
 
旦那さんも美味しくできたものは美味しいというし、他の友達、旦那さんの仕事仲間の人にも美味しいと言ってもらえている。
だから、自信をもっていいはず、なのに。
 
それでも、お義母さんと自分の料理を比べて張り合って勝手に負けた気でいる……原因は、②の自信のつけ方じゃないから。
勉強もピアノもおかし作りも文章も、基本は②で生きてきた。
料理も②にすればいい。
 
自分に厳しく、厳しく……。
 
がんばろう。
 
 
 
 
でも、ほんというと、旦那さんがもし、お義母さんの作ったのより美味しいとか、今までで一番この肉じゃがが美味しい、とか、そういう言葉があれば、落ち込まないで済むのになあ。
 
女の人は、一番〜とか、◯◯より〜とか、そういう言葉に耳がとろけやすいのだと思うのだけど。わたしだけ?
 

寝返りしないのに動き回る件

息子くんはまだ、寝返りが出来ない。

4ヶ月過ぎてるけどまだできない。
どこにいてもひっくり返った亀さん状態。
 
首はほぼ座ったけど……でも、まだ完全ではないみたい。
 
ひっくり返してうつぶせにしてあげる
ほえーっ顔をしながら全力で頭をあげてる
しばらくすると、あっうっうえっと辛そうな声
またしばらくすると、すっと頭が床と平行になり、ちーん。終了。
 
こんな感じなのだけど……でも、仰向けに寝かせてると、動く動く。
 
だるまさんが転んだ状態。
 
プレイマットの真ん中に仰向けに転がしておいて、家事したり、トイレ行ったり……。
少し目を離したすきに、頭がなんとかプレイマットの上に乗ってるだけの状態だったり、頭と足がおいた方向とは反対の方向向いてたりしてる。
 
寝返りいつかな、と思うこの頃。
 

旦那さんがわたしの母が苦手の理由を教えてくれない。

姑のことに関しては、実母に聞いてもらっただけでこんなにこんなに溜飲が下がりました。

 
ほほほ。
すっきりした。
 
息子くん大好き旦那さん大好き。
 
大好きな人に囲まれて幸せじゃないか。
 
気にしないで行こう。
 
ただ、わたしの子はいま、息子くんだから。
ということは、わたしもいつか、姑というものになるのかもしれない。
 
そのときに、お嫁さんに嫌な気持ちになってもらわないよう。
 
経験を大切に。
 
ところでタイトル通り、旦那さんがそんなことを言ったわけですが。
 
大切な人を大切な人に苦手と言われてすごく悲しかった。
どうしようと思った。
 
わたしが旦那さんに姑さんのことを伝えるときにすごくすごく勇気がいったし、なんてわたしは嫌な奴なんだろうと思った。
 
でも旦那さんは、だったら実家とは縁切る。とさっぱりしたものだったけれど。
実家には何の未練もないらしい。
一度縁を切ってたのもあり。
 
うちの母のどこが嫌いなのか教えてくれない。
 
世間の旦那さんはお嫁さんのお母さんが苦手な人っているのだろうか。
どうして苦手になるんだろう。
 
好きな人を好きな人に嫌いと言われる
かなしさ。
 
 

幸せそうな主婦がしてそうな習い事の固定観念がある

いろいろあったんだけど、とりあえず、一番大事なことは、自分が築き始めている家庭を守ること。
わたしも親離れをしなくちゃいけない。
甘えるときは甘えるけれど。
そして息子くんを連れて、出かければいい。
嫌に思われるなら、わたしと息子くんだけで、いけばいい。
それでも嫌に思うなら、また考えるけれど。
嫌われないように、わたしが中間に立ちながら、うちの家の株があがっていくように、なんとかする。
向こうはもう気にしない。
会わなくていいと言われたから出来る限り会わない。
こっちの家庭を築くことが一番大事。
嫁姑ってどうしてこうも・・・・・・。

ではお題。
学んでみたいもの。
もう一度学び直したいものは
英語
ピアノ
だ。
英語は日常英会話はスラスラできるようにもう一度なりたいものだなあ。
向こう行って暮らしたいな。
英語が身に着くまで。
ピアノも、指がもういちどパラパラ動くようになりたい。
練習したい。
ピアノ、いつか実家の引き取って暇なときに。。
先生がいないと練習をさぼるから、先生に一週間に一度くらいみてもらいたいな。

あとは、習ったことがないものだと、
料理
着付け
パン
スイーツ
ドライフラワー・・・・・・とか。
主に、今の自分の日常生活であった方が良いスキル。

家庭が幸せになるスキルを身に着けたい。
わたしも幸せだと思えるような。

幸せそうな主婦はどうしてみんな、パンや料理の教室に通っているんだろう。
幸せそうな主婦というより、お金がありそうな主婦だろうか。
あとは毎月旅行にいっていたり……??

いや、これもうただの見栄じゃん。
幸せそうじゃなくて、お金がありそう、だ。
裕福そうだなあっていうやつだ。


習いたい、って、一番初めに、その物事を極めたい、上手くなりたいという思いがあるものなのに。

もちろん、パンも料理も上手になりたい。それはうそじゃない。
……ああ、だけど、これもやっぱりお義母さんを意識しているから今こんな習い事がずらっと思い浮かんだのかもしれない。
料理の上手さとか、
幸せに生きている感じとか……。

若さも可愛い赤ちゃんも、大好きな旦那さんもいる。

張り合う必要など全くないのに。

幸せなのに。

少しずつ言われた何気ない嫌味のようなものがいまだにささってるし、言い返したいと思ってしまう。
たぶん、ふざけたノリであっただけなのだけれど。

でも。

ああいいや。
もう考えないこと。

わたしはわたし以上にムスコ君に幸せな子ども時代を送ってもらうんだ。

大きくなったら、毎年旅行へいこうね。
キャンプでもいい。
家族でたくさんたくさん、思い出を作ろうね。

 

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いますぐにとびたい。

専業主婦の人はこういう時、どんな風にして安らかでいいって自分のことを許すんだろう。

 
今いる家の毎月のお金を払っているのは、自分じゃない。
電気ガス水道のお金も自分じゃない。
 
そう考えると、出ていかなければならないのは、わたしだと、焦燥にかられる。
 
異物はわたしだと思う。
 
彼の平穏のためにも出て行かなければ。
消えなければ。
 
そう思うけど、何しろ乳飲み子がいて、動けない。
抱っこ紐につっこんで実家、も、できるけど。
 
そうしようとしたら、火に油をそそぐ感じだった。
 
はじまりは些細なことで、終わったはずなのに深みにはまって抜け出せないのはいつもわたし。
 
眠れば、朝になれば、向こうも眠れば、元通りなのだろうか。
たくさん落ち着いて話し合ったあとだし、きちんと元に戻るのだろうか。
 
それでも横たわってはいけない気がする。眠ってはならない気がする。休まってはいけない気がする。
 
ベッドも壁も全部が急によそよそしく感じる。
 
この状況で眠れる図太さはあるけれど、それをしたら彼に申し訳ない気がする。
もしかしたら彼は不快な気分のあまり眠らないのかもしれないし。
 
夢の中に逃げてもいい場所がほしい。

苗字が変わってもわたしの家族、実家の幸せのために何ができるか

もっと早く気付けばよかったと思う。

 
親孝行なんて、真面目に考えてなかったんだと今なら気付ける。
 
初任給でイタリア料理をご馳走したくらいで、親孝行をしたなんて、おこがましい。
もっともっと、やってあげるべきことがたくさんある。
今なら……。
 
こないだ、息子くんと一緒に実家に戻った。
雨の日だった。
曇りの日だった。
じめりじめりとしていた。
 
実家は薄暗い感じがした。
お兄ちゃんもお姉ちゃんも、弟もいなくて、人がいないならその分電気もつけていないのは当たり前だった。
 
ソファが広々してるのも当たり前。
廊下が、台所が、リビングが広々してるのも当たり前。
 
犬が久しぶりの涼しさに気持ちよさそうに伸びていた。
前より少しお年寄りな顔をして、網戸越しに外を見ていた。
 
生の明るさが少なくて、家族でお昼を食べて夕飯を食べて。
ついでにお風呂まで入ったけれど。
 
息子くんの泣き声があれだけ明るく響き渡るのに驚いた。
生の輝かしさだった。
 
しみじみと、お母さんとお父さんが、赤ちゃんは神様みたいだと言った。
 
これから何にでもなれる。
まるで神様だ、と。
 
親不孝で心配ばかりかけて。
一時期はデパスも飲むくらい摂食障害をひどくして。
 
それでも見捨てず、何とかなるから、と支え続けてくれた両親。
 
ある日突然子どもを作って結婚して家を出て行ってしまったわたし。
 
赤ちゃんがお腹にいるとわかったとき、一番初めに嬉しくて泣いてくれた、お母さん。
 
たくさんの幸せばかりの子ども時代を送らせてくれた。
 
いま、苗字が変わってしまったわたしは何ができるんだろう。
 
まずは息子くんは、大きく育てる。
 
それから?
 
それから……今はまだ働いていないけど、やっぱり金銭面で楽をさせてあげたい。
 
自営業のせいで、まだ借金がある。
無くなり始めてもまたすぐにできる。
 
会社と従業員と家族の生活を守るために、必死。
 
どうしてあんなに頑張っているのに、いつまでも苦しいんだろう。
 
いつかいつか。
 
必ず楽をさせてあげるから。
待っていて。
 
 
 
 
 

先生の嘘つき

授乳中しても大丈夫な薬だからって言ったから、親知らず抜く決心したのに。

 
処方箋出したら出てきた痛み止めの薬がロキソプロフェンじゃないっすか。
 
これおそらく授乳中はあんまり良くないやつじゃないっすか。
 
処方してくれたとこの薬剤師さんに聞いても、授乳中ならだめ、ミルクにしてって言われましたさ。
 
お友達の元歯科医のママ友さんにも、ロキソニン系はやめておいたほうがいいかも、と。
そのお方はわざわざ薬剤師だというお母様にもお電話で聞いてくれたようで……赤子がいて忙しいのは変わらないのに本当に申し訳ない。
 
自分でネットで調べて、母乳に薬の成分は出て行くけど、それが赤ちゃんにまで悪い影響があるのかは判明されていないようだとは、わかった。
 
とりあえず、昨日の夕方は飲んでしまったから、今朝搾乳して捨てるまでずっとミルク哺乳瓶だった。
 
息子くんギャン泣き。
あまりにお腹が空くと、一応飲むけど、すぐにぺっと吐きだす。
吐きだして、おっぱいがあるらへんのところに顔をすりすりして泣いている。
探してる。
 
…………。
ごめんなさい本当ごめんなさい(*T_T*)
 
今朝、起きて、しぼって、また一応哺乳瓶でミルク。
少し飲んで、でもほとんど飲まなくて。
 
搾乳して2時間くらいしてから、直母で。
くいくい吸い付いてた。
これだよ、これ!  みたいな。
 
下の歯の親知らずを抜いたんだけど、抗生剤は飲んで、痛み止めなしでやっていけるのだろうか……。
親知らず初めて抜いたからわからない。
 
それから、無知は怖いと思った。
自分でもっと確認してから親知らず抜けばよかったです。
 
あと、出産よりも親知らず抜くほうが私は個人的には嫌いです。
 
 
 

哺乳瓶を受け入れてもらうためには。

小学校低学年の頃の親友で、中高もたまたま一緒だった子が、息子君を見に来てくれた。抱っこしてくれた。

抱っこしてもいい? と何度も聞いてくれて、何度も抱っこしてくれた。

わたしも、自分に子どもがいなかったときは、赤ちゃんを見るたびに抱っこしたいなあと思ったし、姉の一人目の子を抱っこしたがった。「抱っこしてもいい?」ってたくさん聞いた気がする。

 

その気持ちを思い出して、ちゃんと愛と感謝を込めて、もっと抱っこしようと思った。

 

そしてまた、出産祝いをもらってしまった……。ほー、ちゃんと内祝い送らねば。

もらったものは、腕にはめる枕とか、ミニタオルがスタイに早変わりするストラップとかベビー用ボディタオルとか。とか。

お母さんと選んでくれたみたいで、どれもすごくこれから活躍しそうだった。

www.i-ori.jp

貰った出産祝いでよかったもの、まだ使ってないものもあるから、全部使ったらランキングしてみようそうしよう。

 

今の所言えるのは、授乳クッションはあってよかった、特に新生児のうちはあってよかった。

今は体が大きくなったから授乳し易くなったけれど、新生児の、首が座ってなくて体がすごく小さかったとき。授乳クッションがなかったら、もっと左手首の腱鞘炎が悪化してたと思う。今でさえ、かなり痛いもの。

www.ailebebe.jp

 

最近笑うようになってきてすこし嬉しい。

でも大きな声ではあんまり笑わず……。たくさんお話しするけど、どちらかというと何か不満があるときに、たくさん話してくる。
ふっくーとか、ふぷーとか。
可愛い。あとなかなかわかってあげられなくてごめんね、と思う。

全力で笑かしにかかって、ようやっときゃっは、と一言いうかいわないか。

笑うよりも、なにか話したいことがたくさんあるのかな。

今は、あと、首座りが完全になるのをじわじわと待っている。
はやく寝返りもしてみてほしい……。

周りの早い子たちは、もうできたりしてる。比べちゃいけないのはわかってるわかってる。その子それぞれのペースがある。
わかってるけど、けどけどけど。という感じ。

あと困ったことに、哺乳瓶拒否らしいです。
搾乳したものでも、飲まない。
吸い方、忘れちゃったみたいに。

困ったなあ。
これじゃあ結婚式のときどうしよう本当に……。

心を鬼にして、丸一日、哺乳瓶の日を作ってみたらいいんですかね。
いい加減お腹が減って、泣きつかれて、哺乳瓶でも飲めるかな……。

どうすればよいのだらう。


産後の幸せブログみたいなのは自分は書きたくない

ママになって幸せ、とか。

赤ちゃんの可愛さとか。
 
おしゃれなベビーグッズとか
離乳食のレシピとか
おむつアートとか。
 
あげればきりがないけど、そういうブログを見るのは、好きでも嫌いでもなかった、今までは。
 
さすがモデルだなあ、とか、芸能人だなあ、とか、、普通の人のブログでそういうことをやってるのを見ても、お金があるんだなあ、くらいにしか思わなかった。
 
自分が子どもをもった今では、なんだかそういうブログに薄ら寒さを覚える。
 
子育てが大変なのを自分自身にまで隠して、幸せアピールに必死な人たちに見える。
 
わたしがひねくれ屋なのかもしれないけど。
 
あ、でも、自分も、赤ちゃんは可愛いし大変だし、だけど可愛いというのはわかる。
笑ってくれただけで、最高に幸せな気分になるのも、わかる。
 
でも、それをネットを通して公にする必要性はないわけで。
なぜそんなことをしてるのか、よくわからない。
芸能人の場合はファンがいるからだろうけど……芸能人の生活って見てみたいもんね……。
じゃあ、普通の人は?
普通の人で子どもの顔をさらす人もよくわからない。
可愛いよ、子ども。
どんな子でも赤ちゃんは可愛い。
 
でもいくら成長とともに顔が変わるといっても、親の勝手で顔をさらすのはどうかと思う。
 
頼れる旦那と可愛い赤ちゃんがいて、幸せ、というのも、わかる。
 
自分も今そうだから。
 
でもそれを不特定多数の人or友だちにネットを通してアピールするのは、違和感がある。
アピールしてるママさんがあんまり……なんでだろう。
やっぱりただのひねくれ者なのかな。
 
妊娠して、出産して、母親になって。
 
久しぶりに会う働いてるor学生の友だちに会うと、別れたあとクルクル考え込むようになってしまった。
 
わたしのあの発言は不快な思いにさせたかな、とか。
自慢に聞こえたかな、とか。
わたし、かたよった普通とはズレた考え方をしてるのかな、とか。
 
上記で説明したようなブログを書くような人と、同じことをして、わたしが感じてるような不快な気持ちにさせたんじゃないんだろうか、と。
 
考え込む。
落ちていくようになってしまった。
 
世の中の世間と母親の世間はパラレルワールドのようになっている気がする。
 
わたしはそこをフラフラしてるのかもしれない。
世の中の世間に足をしっかり踏みしめていたいのだけど。

お母さだから泣きやませられるんじゃなくて、お母さんは最後まで付き合うってだけだよね。

 
泣きやませられるんじゃなくて、泣き止むまで付き合うってだけ。
 
土日はせっかくのお休みなのはわかる。
 
泣いたら渡して、オムツも自分からあんまり変えない。
 
わたしがほぼ先気づくのもあるけど

赤さんはとんでもなくかわいい。

 
わたしの前では慣れたようにたまに笑みを浮かべる。
 
お父さん、彼の前では全力の笑顔を向ける時がある。
 
わたしの前では大泣きばかりの時があるのに。
 
彼は大泣きすると泣きやませようとする前に、ミルクかなあ、とわたしへ渡す。
 
ミルクの時が多いんだけど。
 
わたしは赤さんの前では母乳を出せる人、それ以下でも以上でもない気がしてきている。
お風呂場での乳搾りも上手くなったもんだ。
張って仕方ない胸が赤さんの母乳でしかない存在だと余計主張してるように感じる。
 
赤さん大好きだけど。
笑顔が見たくて見たくて、お父さんと一生懸命目を合わせるようにさせる。
 
わたし、なんなだろう。
 
赤さん、わたしのこと、好きなのかな。

お幸せにの言葉が嫌いではなく、それを、言った人に問題があった

ちがうな。

お幸せにって言葉が嫌いなんじゃなくって、その、あとはどうとでもなってください、ご勝手に、とうらにそんなニュアンスを感じる言い方をされたのが、腹が立ったんだ。
 
自分は未だ、辛く苦しくしんどい場所にいますよ、終わりが見えないけど頑張らないとならなくて、プラスの変化なんて見える兆しもない、て。
そんなことを含めているから、腹が立つ。
過剰に反応して勝手に妄想してるだけかもしれない。
裏にそんなニュアンスないかもしれない。
 
それでも。昔にわたしのことを好きだった人で、わたしがふった内容と同じことを言われてまた別の女の子にふられているあなたに
 
お幸せに苦笑
 
とか言われると。
 
そんなこと言う前にお前の幸せのために何か変化をしようとしろ、とぷちっとくる。

お幸せに

という言葉が大嫌いなんだが。

わかる人いますか?
 
自分は大変だつらい苦しいって言ってる人に言われたから余計なのかも。
 
結婚式あげたから、とか、結婚したから、で、なにも幸せじゃない。
 
お幸せにっておかしくないか。
 
結婚がゴールと考えてる人もおかしい。
 
結婚も子どもも子育ても子どもが成人しても、どこもゴールじゃないし、お幸せな場所はどこもない。
 
わたしの幸せっていえるゴールは強いて言うなら、そのとき生きてる好きな人たちの顔を見ながら死ぬことだと思う。  
 
どんな人のどんな日常に幸せなんて転がってるし、つらいこととか苦しいこともも同じように転がってるから、幸せじゃないのはその人が幸せを気づけないor具体化させて求めてないからだ。
 
不幸語り大変語り。ご苦労様。
でも仕事を思う存分しているあなたには充実感や達成感や満足感がある。
自己顕示欲が満たされたりしてるでしょ。
 
それに気づいて肯定的に捉えて前に進んだ方がよっぽど今より魅力的にうつるのに、どうしてそれに気づかない。
 
だから、そういう部分がにじみ出てるから同じ理由で何度も女の子に振られるんだよ。
選ばれないんだ。
 
だからわたしは違う人をきっと選んだんだ。
 
 
こういうわたしも相応にはたから見たら自分勝手なやつなのだと思うけど。