求人を見つめて時間が過ぎる。
最近、働かないといけないという気持ちでいっぱいになるときがある。
九か月になって、少し手が空く時間が出来てきたからかな。
働かなきゃいけないくらい、生活に困窮してるわけじゃない。全然、そんなことない。
でも、お金ってあっても困らないじゃない。。
これからどんどん習い事をやらせていくかもしれないし、
中学受験を本人が望むかもしれないし、
まいほーむ、終の棲家だって、まだ買ってないし。。
家を買うにはいくら頭金がなくてもローンで購入できるといっても、頭金があるに越したことはないし、家具だって新しく買い揃えたくなるし。大きなソファとか。
色々考えたら、お金が欲しい。働きたい。
でも、資格も何もない。自分。ほぼ未経験。半年しか新卒で働かなかった。
で、子どもがいる。時間に融通の利く仕事じゃないと、難しい。。
この状況で年だけ取っていったら、もっと、就職できる場所は限られてくる。
働かないと。
働かないといけない。
回りの友達は当たり前だけど、働いている。(未婚子どもなしばかりですが。)
指先が冷たくなりながらパソコンで求人を見つめて、時間ばかり過ぎていく。
Wordは開いてあるからいつでも、書こうと思えばかけるけれど、一度この「働かなきゃ」モードに突入したら落ち着くまで、お話を書く気持ちにもなれない。
手に職を。
お母さんが昔から言ってた言葉が頭をよぎる。
働かなきゃ。
泣いた日があった
今年は『ほぼ日手帳』をやってみてる。
本当は大きい方の高いやつ……3000円?くらいするやつ……
を、買おうって意気込んでみたんだけど、いや待てよ、わたしのことだからもしかしたら、三日坊主とまではいかないけれど、一か月坊主くらいにはなるかもしれない。1月までは毎日詳細に書いてあるけれど、3月になったら一日何も書いてない日がでるかもしれない、そうなってしまったら3000円の出費は個人的に痛い……とんでもなく悔しい気持ちになる……と、思って、そっと小さい方のほぼ日手帳を手に取った。
今はまだ、毎日書いてます。
今年のおみくじも大吉だったのではりつけてみたりしました。えへへ。
残念なのは、小さいから美術館行ったときのチケットとかが折り曲げないと張り付けられないこと。
いいんだ、もし、今年きちんと書けたら、来年は大きいの買ってみるんだ。。
で。ですね。
ほぼ日手帳をもう見返してみたりして眺めて満足しているのだけれど、見返してたら、そういえば、音楽を聞いて泣いた日があった、ので。
そのことについて。
クラッシックなんか聞いて感極まって涙した、とか、モーツァルトの美しいメロディーラインに心震えたとか、そういうんじゃないです。予め言っとくと。
わたしが聞いて、ぼにゃりとした気持ちになって、すーと涙が落っこちてった時に聞いてた曲は、わたしが制服を着てた頃にデパートで、スーパーの中で、テレビで流れていた、色々なたくさんの、曲。
曲名もぼんやりとしか思い出せないし、歌手の人もああ、そういうえば、あの時この人すごく流行ってたなあって人で今はいない人も多い。
でも、その時、わたしの生活している世界のいたるところから聞こえてきた曲。
たいしてその曲が好きだったわけではないんだけど、その曲を聞くとサビの部分は空で歌える。
歌えるなあ、と頭の中で鼻歌を歌うと、学校と家と、本屋とbookoffをスカートで太ももを出して往復してた頃の自分がひょっこり現れる。
そのときの、思考とか、感じ方とか、見えていたものをそのまま持った自分が。
そうしたら、なんだか、今、わたしはとんでもなく遠い所にいるな、と思って、びっくりして涙が出た。
誰がこんなこと、思ってただろう。あと数年、大学を卒業したら、一気に旦那さんがいて、赤ちゃんがいて、仕事をしていない、なんて。
ずいぶん、思ってもみないところにわたしは行くよ。
聞こえてる?
制服姿の後ろ姿のわたしに精一杯声をかけてみたけれど、わたしは、見えているものは、これから進む世界の入り口と、今いる小さな世界全部だけで、振り向きもしてくれないから。
なんて遠い所なんだろう、びっくりするよ、と、思って、今いる足元を涙をぱしぱし瞬きしてどかしてから、しっかりと確かめたり、してた。
そんな日がありました。
あけましておめでとうございます。
とんでもなく、ご無沙汰の更新になってしまった……。
結婚式も終わって、引っ越しも終わったと思ったらあっという間にクリスマスの準備をしなければならなくて、それが終わったら年末年始の準備をしなくちゃならなくて。
早いなあと思っている間に、もう、年が明けてお正月も過ぎました。
これだけずっと何もなかったら、もうブログやめてしまおうかとも思ったんだけれども、もともと、自分の自己満足と吐き出しのために始めたものだったし、辞めるのも続けるのも誰にも迷惑かけないと思ったら、あっさり、久々に書こ~っと、とゆるく、パソコンに向かってます、はい。
息子君のチョマは相変わらず、なんと、ずりばいをしないのです、驚きですね、ハイ。
チョマくんは今月の終わりで9か月なります。9か月ですよ、ちょっと、もう。
何でずりばいをしないのかさっぱりわかりませんが、お座りは、一瞬体勢を維持できたり、両脇を支えてあげれば、足をぴょこんぴょこんさせて、跳ねたり、立ち上がったりしゃがんだり。
このままずりばいしないで、つかまり立ちとか、になるのかなあ。
他のママ友さんから、ずりばいで、ずりずり寄って来るときの可愛さとか、眠っている時に近くに寄ってきてくっついて寝てくれる、とか、なんだその可愛い生き物!!!!可愛すぎて食べたくなりそう!!!!って思っていたのに、どうやらチョマくんはしてくれないようです。。
離乳食は2回食になり、相変わらずもちゅもちゅ、食べています。きな粉ヨーグルト(ヨーグルトはだたし恵に限る)が好きです。白菜と一緒にお野菜数種類煮込んだものを上げるとパクパク食べてます。豆腐もまあまあ、好きです。鶏肉は嫌いです。納豆も嫌いです。お魚もいまいちです。なんだか、精進料理みたいな食材が好きなようです。一番好きな食べ物は白がゆです。今は七倍がゆとか。たまに水の量間違えて五倍がゆ並みにつぶつぶ残ってるけど、でも、食べてるので、まあ、よし。
あとは、うーん。あ、おもちゃのラッパがふけるようになりました。大泣きしている時にラッパをつかませると、泣きながら口元へ持っていて、吹きます。
ふわあああん、うわああん、ぎゃああああん、という泣き叫び声に混じって、
プワアアアンと
何とも気の抜けたラッパのが、響いて、こちらの心情として何となく心一瞬穏やかになります。
大泣きしているから余裕がない中、おもちゃのラッパは少しの余裕をもたらしてくれます。
チョマはこんな感じ。
今年、わたしが去年出来なかったことで、やりたいこと。
*書く事を毎日続ける
*読書を毎日続ける
*ブログをなるべく定期的に続ける
*2人目ほしい
とかですかね。
上記二点は、初めての出産育児で全く余裕がなくなりました。。人生初です、上記二つをこれほどほっぽりだしたの。あ、そうでもないか、受験のときは、ちょっとわざと遠くにやったか。
あと、ブログは、うん。書いた通り。なるべく。。記録になるしね。
あと、2人目。
わたしは、早く正社員になりたいんだ。
大きめの気に入るお家にいつか住みたいし(今は賃貸。)旅行にだって家族で行きたいし、そのうち、子どもが大きくなったら、中学受験をさせようとか習い事をさせようとか、思うかもしれない。
共働きと専業主婦だと、一世帯の生涯年収の差が半端ないんですよね、それこないだ初めて知ったんだ。
でも、子どもは二人は欲しいし。てか、女の子もほしいし……。
そうなると、職場復帰した後すぐに妊娠して出産して育児休暇ほしいです、だと、会社的にも何だこいつってなると思うの。
だから、早めに2人目も作ってしまって、2人目の子育ても少しひと段落させてしまって、から、お仕事したい、と思っている。
早くしないと、私の年齢も上がってくる。年齢が上がれば、就職できる場所もどんどん狭くなる。
わりと良い大学を出ていても、職場経験が全然短い私は使い物にならないのは確実で、だから年を取って何の資格も経験もなくて、雇ってもらえるところなんて、ほぼない気がしている。
だから、二人目、女の子、別に年子でもいいし、早めに……と、思案している。が。
世間の年子に対する冷たい目ってどうして存在するんだろう。
計画性がないとか、一人目にしっかり愛情注いでないしかわいそう、とか、お猿さんみたいにしてた結果、とか、若いからね、とか。
そう言われるのが何となく、怖い。
まだ、お腹にいないけどね。できてもないけどね。
働きたいっていうのも、子どもに愛情注いでいないとみられてしまうんだろうか。
お金はあるに越したことないと思うのだけれど。
いいお家に住みたい、素敵な暮らしがしたい、子どもに教育では不自由させたくない(金銭的な面で)だったら、共働きが一番だと思うのだけれど、働く事は、子どもから離れたい、自由になりたい、そんな母親の我儘にしかならないんだろうか。
本当に共働きじゃないと生活が出来ないってくらいじゃないと、母親が働く事は子育てから逃げていることになるのだろうか。
はじめました、離乳食
はじめて、初日はぎゃんなき。大変。口におかゆが入っただけで、絶望しかないという声で泣き叫ぶ。
もう、この子は一生離乳食食べることが出来ないんじゃないかしら、と思い悩んだ翌日には、昨日がウソだったかのように、むしゃっと食べました。
離乳食二日目はまだ、美味しいとは思えないようで、おかゆが口にはいるたびに、しっぶい顔。
眉をひそめて、口をもちゃっと動かしてた
四日目になると、もう、食べると褒められることが嬉しいのか、にこってしながら食べてます。
ただ、まだ、美味しいとは思わないようで、褒められるから、口におかゆを入れる貴様の行為を許してやろう、てきなね。
離乳食で、なんだか焦って小さなごますり、とか、買ってみたものの。
めっちゃいらなかった。
ちょういらなかった。
全てはブレンダ―で事足りる。完璧。
おかゆ多めに作って、大匙1ずつ製氷機で凍らせて、最近はそれをチンして解凍する日々。
それだけだと、どろどろが強くてあまり食べないから、お湯とかちょっと混ぜて、さらさらにしてる。
今週の土曜日からお野菜もスタートだ。
人参からかな。
何からにしようかな。
『窓の魚』読了
私のテーマソング
テーマソングは一つの曲じゃないけれど……思春期のときに永遠と聞いていた曲は、ある。
アジアンカンフージェネレーションの曲。ぜんぶ。
新しい曲がでればそれをずっとずっと聞いてた。
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始めは、ただぼんやりとCDから流れるままに聴いて。
次に歌詞カードを確認して聴いて。
あとはもう、MP3につっこんで、通学、勉強中の眠いときの眠気覚まし(勉強中は聞けない。のってきてしまって全く集中できなくなるから)、歩いてるとき、電車の中……。
本を読むか、アジカンの曲を聞くかしていた。
大学入学時まで続いたから、おかげで、大学生活に慣れなくてまだ緊張していたころ、大学へ向かう電車で毎日同じアジカンの曲を聞いてたっていう思いでまである。
今でもそのアジカンの曲を聞くと、すこし息苦しくなる。
新しい友達関係とか、誰か友達を作らなければいけない雰囲気とか、そういうのが昔から私は苦手なのです。
アンダースタンド、とか、夏の日、残像、とか。
そこらへんが一番好き。
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何が好きかって、メロディーとか声もなんだけれど、とにかく歌詞が好きだった。
絶賛中二病中でごちゃごちゃいろいろなことを考えていて、意味もなく虚無感を感じたり、最高に楽しいとき高揚している時と、とことん落ちている時の差がすごくって。青空を見て感動したかと思えばその日の夜にぼんやりと夜空を見上げて泣きそうになってたりとか。
そういうのを、しててもいいよ、やっててもいいよ、と肯定してくれたように感じた。
そういうのってやめたいと思ってやめられるものではないし、気づけばやらなくなったなあってなるものなんだと今になって思う。
今でも昔よりは全然だけど、たまに厨二になる。
すきまにおっこちたかのように。
そういうとき、アジカンの曲を聞きはしないけれど(だってこの年にもなって肯定されたいって甘えてフヨフヨするのも微妙に許されないと思うし。。)アジカンの曲に耳を傾ける制服姿の自分を思い出す。
『軋んだその心、それアンダースタンド
歪んだ日の君を捨てないでよ
嘆き合って迎える朝焼けで消えゆくその想いを
ふとしたことで知る無力さでほつれるその想いを
濁った目の先の明かり消えぬ街角
宿ったその心、絶やさないでよ
響かない君の先の見えぬ明日も願うよ
きっといつか…』
当時の肯定されたい感はすさまじかった。
ここから余談。。
アジカンが好きになったきっかけは、鉄コン筋クリートを見てからだった。
いやあ、ほんとにこの映画は大好き。
シロの蒼井優すごく上手だし。
鉄コン筋クリートが好きになって、松本大洋もすきになって、ピンポンの映画も見たな。
漫画は鉄コン筋クリートもピンポンも見た。
ピンポンの映画は二次元の実写化だけれどもすごく面白かったしよかった。
鉄コン筋クリートでもピンポンでも、松本大洋らしい男の子二人組がすごく好き。
お互いいなきゃダメという。。
こういう、本でも漫画でも映画でも、少し文学的というか主人公が持つ感情的なものも含めて意見を共有し合って交換し合うのは、旦那さんとやってもつまらない。
なんでだろう。
理系の男性だからかな。
その意見さっきわたしが言ったものじゃん、とかも頻発する。
意見に納得できないしずれた会話になる。
女の子とはなしたいなあ。
宣誓
お題。好きな人が好きになってくれる奇跡の体感にやられました。
結婚を決めた理由はー……つらつら思い返して、文書を書いていたら、なんとなく答えがでたから先に書くと。
たぶん、この人しか、自分が好きと思える人が、自分のことを好いてくれているっていう状態にもうきっと、二度とならないだろうと思ったから。
好きな人が自分のことを好きって、なんて奇跡なんだろうと思う。
中高女子校で大学になって共学になって、好きな人と好きになってくれる人って違うんだ、といつもいつも思った。
わたしなんかを好きになってくれるわたしの好きな人は、この人しかもう出会えないと思った。(あ、よく自分のことを見下げてしまうのだけれど、それはするなと怒られました。わたしを好きな人に対して失礼だから、と。)
だから、結婚しました、はい。
まあ、第三者、はたから見たら、絶対に「赤ちゃん」だけどさ。
恥ずかしながら……いや、別に恥ずかしいじゃないんだけど。
世間に顔向けできないような、申し訳なさ、罪悪感、肩身が狭い、ちぢこまりたくなる感じ。
自分がダメな奴と思えてくるやつ。
……そういうの感じるのは息子君に対してやってはいけないことだと思うから絶対に思わないように前を向いて顔を上げてと思っているけど。
まあでもわたしとしては、結婚を決めた理由を「赤ちゃん」ではないと思って、考えて、上記の結果がでたんですよ。
わたしのいた環境が子どもを育てられる環境だったっていう幸運が繋がって、結婚出産に踏み切っただけだったのかもしれない。
けどさけどさ。
経済的な面だけみればそれならばおろすという選択肢もあったはずで。
それを選ばないで今の選択をしたのは、一生この人と一緒にいようと思って、結婚して、出産して理由は。
産みたいという本能的な母性と言ってしまえばそれまでだけど……。
思い返すと、する前は、この人と結婚するってどうやってわかったの? どうして決めたの?
って結婚してる人(お姉ちゃんとか)に聞きまくってたなあ。
お姉ちゃん。うん、今でも赤ちゃんの事でたくさん質問したり教えてもらったりしてるけれど、本当に、たくさん話をした。
勝手にお泊りしてるんだけど、親に顔見せた方がいいのかな、とか。
どの段階で同棲ってするものなのかな、とか。
お姉ちゃんは全部、お姉ちゃんなりの解答を真面目に答えてくれた。
本当にありがとうございました。。
昔お姉ちゃんに言われたのは、結婚って、年齢とか時期とかタイミングもあるよ、と。
おっしゃる通りだと思う。
だから、わたしの場合は、タイミング&この人しかわたしが好きな人でわたしのことを好いてくれる人はいないと思ったから、です。
付き合う前の、文章のやり取りの時間が長かった。
長文になりがちなわたしの文面に、すごく丁寧に答えてくれてた。
バカみたいな長さの文章のやり取りをしていた。
だいたい、一日に一、二通。
恋愛の感情よりも、とにかく相手に興味があった。すごい人と繋がりを持てたと思って、もっと相手の話を聞きたかった。
たくさんたくさん、文章のやり取りを重ねて、どちらからともなく、会おうってなった。会おうと約束した日はまだまだ先の話で、でもその会う日まで、ずっとやり取りは続いた。
こんな感じで、すぐに会おうって誘われず、なんとなく自分たちのことを話す、相手の話を聞く、で、ずっと文章でやり取りをしていたから、会った瞬間は、照れくさくて、不思議な感じだった。
わたしは思い出の場所とか音とか匂いとか風景とかに、弱い。
そういうもので、すごくその当時の記憶や思いが鮮明に、多少ドラマチックに体感されてしまう。
今でも、初めて会った場所、行ったところ、食べたもの、全部、消えないものとして自分の中に残っている。
結婚してよかったと本当に。
たぶんこの人しか、出会えなかったからね。
ぼこう
懐かしい所に友だちと、行ってきた。息子くんも連れて。
通学路を歩くと、馴染みの制服を着ている女の子たちがたくさん。
校舎内にはいると、綺麗なレンガの階段や石畳に圧倒された。
当たり前のように6年間をここで過ごしていたけれど。当然のこととして享受していた、もの、こと、空気の大きさを知った。
わたしが着ていた制服を着ている女の子たちは、とても、子どもだった。
若くて、子どもだった。
わたしが制服を着ていたころ、わたしは自分のことを子どもなんて全く思いつきもしなかったのに。
ただ、ひたすらに14歳であったり、16歳であったり、18歳であったりした。
数多く読んだ本の中で、12歳から18歳が、とてもキラキラと輝いていて、一生懸命で、二度と来ることがない素晴らしいものなのだと人よりも、認識しているつもりだった。
それは間違いじゃないと思う。
一番、人生の中で記憶として頭と心にこびりついている期間だと、思う。
でもね、こんなに、12歳~18歳が「こども」で、保護対象で、若々しいのは、知らなかった。
あれだね、多分、本でそのくらいの年齢の主人公の物語を読んでいても、わたしはそのキャラクターに感情移入して、まるで自分がそのくらいの年齢であるかのように疑似錯覚してしまう。
それをずっと、20代半ばになっても続けていたから。
初めて、全くの年上、大人として、はつらつとした12歳から18歳の彼女たちに、出会ったのだと思う。
大人のふりをして、大人のつもりでしゃべる、だけど、可能性に満ち溢れて、屈託なく笑う、子どもだった。
同じ制服を着ていたけれど、わたしもまだ着れるけれど、もう、袖を通してはいけないんだな、と思った。そういうキラキラの特権は、もう、持ってないもの。
生徒の頃は通ることが出来なかった廊下を通った。
カフェテリアの外のテラスが見下ろせた。
小講堂にはよくわからない銅像が増えていた。
でも、小講堂は、再試の場所でしかなくて、銅像なんて、ちょっとへん。
先生と育児の話なんてしてしまった。
わたしの書く文章が好きだったと言ってくれた先生がいた。
まだ、わたしの文章なんて覚えていたんだと、涙がでるほどうれしかった。
いもずる式に、その先生の思い出が出て来る。
中三の頃の担任で、新しいクラスで、誰とも仲の良い子と一緒ではなくて。
離れ離れになってしまった。
家で大泣き。
大泣きするわたしを心配するあまり、母がその先生へ電話(笑)
先生からわたしへ電話が。
顔もわからない女の子たちの名前をいくつか教えてくれて、新しいクラスで一緒のはずのその子たちと、わたしの雰囲気がどことなく似ているから、きっと仲良くできるから、と、なぞの励ましの言葉をもらう笑
当時は、誰だよそんなやつしらねーよ、そんなこと言われても仲の良い子と離れたことは変わらないんだようわーんっ涙、という感じだったけれど、今考えれば、それが先生にできる精一杯のことだったんだよね。
ほんとにありがとう。
話し戻すと……。
もう、わたしはここの生徒じゃない。
当たり前だけれど、改めてはっきりと、「前を向かなきゃ」と思えた。
当時、ここに通っていた頃のわたしのように、与えられた場所で、今いる場所で、今自分ができる最大限の努力やできることを、していかなければならない。
昔の思い出ばかり振り返ったり、昔と今を比べたり、そんなことをしている時間があるならば、今の立っている場所を確認して、理想の未来を目を細めてしっかりと見定めて、手あたり次第、自分にできることをしていくしかないんだ、と。
誰にも背中を押されたわけではないけれど、とんと、背中を押された気がした。
背中を押されることと、出ていくことは似ているね。
追い出されたけれど、優しく強く、見守ってくれる暖かさをもった手のひらで、背中をたたいてくれた気がした。
本のこと①
最近、つまらぬ愚痴が多いし、心改めようと思っている。
いや、これ面白かった。たしか又吉がおすすめしてたのをどこかで見て、それを何となく覚えていて、TSUTAYAで見つけて100円だし、ということで。
漁港の近くに暮らしている醜いけれども不思議な明るさをもっていて、ちょっとおかしな母親と、物の声が聞こえる娘の話。
肉子ちゃんが母親のあだ名なのだけれど、この、肉子ちゃんが、いい。
日常の現実世界を過ごしていて出会う小さな悩み、いらつき、かなしさ、むなしさ……そういうのを全部、不思議な明るさで流してくれる感じ。
肉子ちゃんの人物像を、表現上、あとほかの登場人物が絶妙にくっきりと浮かび上がらせてる。肉子ちゃんの言葉尻にぜんぶ「っ」とか「!」がつくこと、あと漢字の説明。
「雨ヨ、と、書いて、雪と読むのやな!」……とか。
肉子ちゃんのハイテンションの明るい変てこな言葉に、娘の冷めてるけれど温かみのあるつっこみ、娘にだけ聞こえる物のたくさんの声が、硬質に響く。その温度差がいい。
綺麗な景色ばかりじゃなくて、全体的に汚いところに住んでるのもいい。生臭い漁港とか汚い小さい部屋とか。
肉子ちゃんになりたいと思う人はきっと誰もいないと思う。
だってバカだしデブだし不細工だし貧乏だもの。
しかしそれでも肉子ちゃんに惹きつけられる。
それだけ内面が素敵ということになるのだけれど、でも内面も、肉子ちゃんにはなりたくない。
何度も言うけど、だって、とびぬけておバカさんだし。。
でも、読み終わった後、肉子ちゃんに惹きつけられたまま、不思議と憑き物が落ちたみたいに、世界が雨上がりの美しさをもったかのように、感じられる。
なんとも不思議な本です。
でも、とてもとても面白かった。
「」
雨の日の希望の過ごし方
キラキラのプレゼント
水槽
【第5回】文章スケッチの広場 お題「水槽」 - 短編小説の集い「のべらっくす」
こどもじだい
最近、息子くんの初寝返り成功があった。
言葉の紡ぎ方が絶妙な作品にひかれます
お題、書く。
「人生に影響を与えた1冊」
1冊しか選んじゃいけないっていうのが、むつかしいところですね。
わたしは0歳から生きていて、きっと3歳くらい?いや、もっと前か、もっと前は記憶がないけど、もっと前から本を読んでもらったりしていたわけだし。
『いないいないばあ』も『はらぺこあおむし』も、なんでも読み聞かせてもらって、これらのあんまり自分自身で意識しないで吸収した物語は、わたしの人生の根幹部分に実は大きな影響を与えているのかもしれないし。
そう考えると、「人生に影響を与えた」選ばれし1冊はどれなんだろうと、永遠と悩むわけですが。
一冊って、決められないじゃん、いいや。そしたら今思いつく、深くわたしと関わった本にするわ。
もうお題じゃないですね。
『GOSIK』桜庭一樹
桜庭一樹の作品は恥ずかしながらラノベがはじめでした。てか、でも、わたしが中学の頃の桜庭一樹は芥川賞作家でもなんでもなかった。ただのラノベ作家だった気がする。
このね、『GOSIK』のたぶん一番初めの巻のところに、噴水を表現するところがあるんです。庭の噴水から水が出ている様子を、桜庭一樹は<とろとろ>と表現していて、確か。
水が出てくる様子が、とろとろ、と。トロトロ……カタカナだったかもしれない。
こんなふうに、表現できるんだって思った。
言葉って無限で、世の中に起きていることが、人によっても時間によっても同じものは何一つなくて、それを表現するために言葉を連ねる、から、同じ事象を書き表すのも無限大で。
とにかく、どかんと衝撃を受けた。
桜庭一樹すごい、大好きってなった。
桜庭一樹の作品はすべて読むようになった。
ついでに言うと、今の旦那さんとの一番初め、出会いがしらでの話題も、桜庭一樹。お互いどんな本を読むの、という話になって。
桜庭一樹のこんなふうなとこに感動したことがあるって話をして。
それからなんやかんやあって、今、一緒に暮らしているわけです。
自分の驚きとか感動とか、衝撃を受けたものを共有し合えることは素敵です。
同じく、言葉の連ね方が好きで、好きで仕方ないのが、江國香織の作品。
全部。
不倫のどろどろしたのから、雪だるまの雪子ちゃんみたいな、童話まで。すきまのおともだち、も、好き。
あれを読むとレモネードがすごく飲みたくなる。
江國香織の、さみしいけれど自分を愛していて、寂しい自分ってしっかりわかっていてそれでもその自分を愛しているし、自分を満たすために、自分ながらの小さな幸福をちりばめた生活をする、ような、雰囲気がすき。
あこがれるけど、そう生活できるように、なるのだろうか。
雨の日はイチゴジャムを作りましょう、とか、わざと長靴を履いて傘をさして……もしくはレインコートを着て、近くの林まで散歩に行ってみる(雨で強くなった森の匂いを深く吸い込むため、、とか。江國香織はそんなイメージ。
真似したい。
江國香織に登場する、自分を幸福にさせるための手段を択ばない柔らかな人達、に、わたしもなりたい。
浮世離れして、生活したい。
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